いや~、

 

 

引越しの事をあれこれ考える日々が続いています。自然に過去に行った引越しの事を思い出したり、そして懐かしんで思い出に浸ったりする毎日です。おかげでまた眠れなくなりました。びっくり いや、眠れない事はないけど寝付けが悪くなりました。仕方ないっすね。

 

僕が最初に引越しをしたのは、高校を卒業して就職をする社会人1年目の春です。それまでは18年間、久万高原町(旧柳谷村)にある実家の5畳の部屋にお世話になりました。

 

実家の自分の部屋の設備と言えば、角部屋・2面窓・TV視聴可・和式トイレ(汲み取りのボットン便所)・勝手口あり。隣りの弟の3畳の部屋に流し台・冷蔵庫あり。

 

勝手口があるので、夜中でも出掛けたり帰ってきたり出来るし、親がいる場所との間にはドアが3枚も重なってあって(なぜ?)そこはこっちの方から鍵が掛けられたので、ひじょうに快適な住み家でした。何度かブログでも触れたけど、最初は、ばあちゃん(父の母)を住ますために父が改装をしていた部屋だったので独立性があったんです。それが改装の途中にばあちゃんが亡くなったものだから、途中で方針転換して手抜きの子供部屋に(!)もう兄弟でやりたい放題でしたね。懐かしい。

 

さ、しかしそんな学生生活の間に、よ~く考えたら、僕は別の意味での引越しを合計2回経験していました。これはかなり珍しい経験だと思うんですが、学校の引越しを経験しています。違う学校に行く事になった転校とは違くて、学校の引越し。

 

分かります?びっくり

 

 

校舎があまりにも古かったので、一度仮校舎に移って建物を壊し、その後に新校舎を建築。出来あがったら戻ってくるというものです。その一度移る事になる仮校舎が、なんと中学校の1フロア。今は無き柳谷中学校の一部を借りちゃおうという相当無謀な計画の元、校舎の建て替えの話が進んでいったのでした。

 

その柳谷中学校も、そのうちに幼小中一貫の学校となり、基本的に全寮制となって、挙句の果てに廃校。数年そのままとなっていたものの、気が付けば今や「ベトナムハウス」(?)

 

展開のクセが凄い!照れ

 

 

ま、そんな後日談はどうでもいいんだけど、小学校の時に、まずは学校の引越しを経験していたんだという事を改めて思い出しました。学校の引越し、結構大変です。

 

僕は、その中学校の校舎を間借りしていた約2年間の間に、当時中学生のお姉さん達に大分可愛がられたり(いじられた?)それを見ていた中学生のお兄さんたちにもこっちは本当にいじめられたり(これを可愛がるというのか)、中学生用の深いプールに泳ぐことの恐怖心を植え付けられたりと大分嫌な思い出があります。大人の社会みたいな世界を垣間見たというかいろんな勉強をさせられた2年間だったように思います。辛かったな~。

 

ま、でも、その中学校を間借りするまでの間に、一つ強く思い出に残っている事があって。

 

小学校低学年の頃、僕はけっこう読書少年だったようだ。学校の図書館にある本を片っ端から読み漁っていたように記憶している。その中でも、歴史に関するものに強い興味を示し、「伝記」と呼ばれる世界の偉人伝みたいな本を貪るように読んでた時期があった。

 

そのことは先生の間でも話題になって、僕は子供ながら結構生意気な事を言う「大人な子供」みたいな扱いを受けていたっけ。なんせ小学校2年生の時の担任の先生から「満(マン)さん」とアダ名を付けられて、それからずっと皆からは「マンさん」とさん付けで呼ばれていたもんね。この呼ばれ方は学校の生徒だけじゃなくって、先生からも、生徒の親からも、もっというと自分の親からも「マンさん」ってずっと呼ばれるようになっていたぐらい。なんか変な知識だけはもってて昔から口だけで勝負するみたいなとこはあった。

 

ちょっと脱線すると、幼稚園の頃。僕は「チューリップ」の唄が歌えなくて悩んでいたらしいんです。皆は、家に帰る前に大きな口を開けて楽しそうに歌っているのに、僕だけ端っこの方でしゃがんで下を向いている。気にした幼稚園の先生が「どうして歌わないの?」って聞いたら「僕・・・チューリップ歌えないんだ。でも「北國の春」なら歌えるよ」って言ったらしい。

 

そんな単純な唄を何も考えずに大きな声で歌う事が出来ない。大人が歌う北國の春なら歌えるのにな、って本気で悩んでいたらしい。末は大臣か大谷翔平か!って話ですが・・・びっくり

 

で、結局、何かの発表会の時に、同級生だった男全員に歌い方を教えて、男の子4人、縄跳びの手で持つところをマイクに見立てて「北酒場」を歌って父兄から大爆笑をかっさらったのを思い出す。今なら「幼稚園でなにを教えてるんですか!」って問題になりそうだけど、教えたのは僕だから。

 

今夜っの~恋は~、

タバコっの~先に~、

 

たた~ん

火ぃを点けてぇ~

 

え~

 

く~れた人ォ~

 

からめった~指がぁ~

運命(さだめッ)のよ~に~

 

なんて幼稚園児がコブシを聞かして歌うから

父兄が受けない訳がない!

僕は昔からそういうところがあったな~。

 

 

 

ゴ、ゴホン!

(話を戻す咳払い)

 

 

 

で、その伝記の話に戻るんだけど・・・。

 

 

 

僕は、その伝記というか偉人伝みたいな話に、小学校低学年の時にどっぷりとハマっていくわけです。クラスの皆も担任の先生も「ねぇねぇ、〇〇って偉人知ってる!?」っていう僕の話を聞いて「へぇ~そんな偉い人がおるんや、凄いな!」みたくリアクションとるわけです。僕は嬉しくなってもっともっとと勉強して片っ端から偉人伝を読み漁ります。

 

 

 

やがて担任の先生はある事に気が付きます。

 

 

 

久万高原町(旧柳谷村)のちっちゃな小学校のちっちゃな図書館にある書籍なんてたかが知れている。満(マン)さんがこんなにも熱心に読書をして、その内容を皆に伝えて折角いい学習の環境になっているのに、この小学校の図書館にある偉人伝は全49巻中の27巻までしかない。このペースなら、いずれ満(マン)さんは27巻に到達してしまい、この広い世の中に偉人と言われる人はたったの27人しかいないと間違った地域を持ってしかも広めてしまう。それは教育上大変に良くない。そうだ、なんとか教育委員会か教頭にでもお願いしてもっと偉人伝を仕入れてもらうべきじゃないか・・・・・?

 

 

 

ある時、担任の先生に呼ばれました。

 

 

「満(マン)さん、偉人では楽しいか?」

 

「うん、楽しいよ!」

 

「もっと、もっと読みたいか?」

 

「そりゃ、もっと見たいよ」

 

「そっか・・・・・(涙)」

 

「先生・・・・・・」

 

「いや、すまん・・・なんでもない」

 

「どしたん、なんかあったん?」

 

「いや、なんでもない」

 

「偉人伝もっと読みたいけどなんかあるん?」

 

「いや、なんでもない」

 

「いや、なんかあるんやろ」

 

「なにもない」

 

「なに?言うてや!」

 

「子供の気にする事やない?」

 

「子供扱いなんてずるいわ」

 

「いや、そうじゃない」

 

「じゃ、僕、まだ偉人伝読み続けるで」

 

「おう、読め!読め!そして教えてくれ」

 

「うん、わかった」

 

 

 

ま、的な。的な会話を交わして、とにかく僕は休憩時間とか時間ある時には図書館に行って「伝記」を読み漁り得た知識をクラスの皆や担任の先生に教える日々を過ごしました。

 

そして、もうじき図書館にある全27巻のその最後の方に到達しかけた時に、先生からもう一度呼ばれる事になります。

 

 

 

「満(マン)さん、伝記は楽しいか?」

 

「うん、楽しいで、偉い人がいっぱいおるんやな」

 

「どこまで読んだ?」

 

「もうそろそろ27巻目になるところや」

 

「そうか・・・・・・・」

 

「どしたん、先生・・・・・・」

 

 

 

27巻以降もいろんな偉人はいたのですが、担任の先生が交渉をした結果、続きの偉人伝を仕入れる話は通らなかったようです。

 

なぜなら・・・・・

伝記なんかを熱心に読む小学生なんてそうそういないから!

今でいうたら「コスパが悪い!」っちゅうとこでっしゃろうか?

 

先生は、小学校2,3年の僕に

「審査が通らんかったわ・・・すまん」

と相当落ち込んだ口調で言いました。

 

27巻の先には、まだ見ぬ偉人がいて

そういう過去の偉大なたくさんの人達が作ったのが

今の世の中であって

そういう歴史とかを学び消化することで

また新たな時代が作られていく。

そんな大事な伝記を、この学校はたった27冊

たったの27冊しか置いておけん。

 

・・・・・すまんな、満(マン)さん。

でも、これだけは分かってほしい

世の中にはもっと偉人が居るという事を・・・

 

 

 

 

 

僕は、心の中で

全49巻って出てるから

とりあえずなんか知らんけど

あと他に22人くらいはおるんやろな

ぐらいには思ってたよ。

大丈夫やけん、先生。

それに伝記を読み終えたら

次は世界のグリム童話

のコーナーに行くけんかまへんで!

って思いながら、

大丈夫、先生。

僕は伝記をあと2~3回読み返すから。

って言い励ましたのでした。

 

 

 

何の話や!?

 

そうそう、引越しの話やった。びっくり

 

 

 

あ、で、結局ね。

 

古い校舎の荷物を全部引越し終えた後、

あれは春休み中やったんかな?

 

担任の先生から家に突然電話があり、

「満(マン)さん、今から学校おいで!」

って。

 

なにか分からずもとりあえず行ってみたら、図書館に呼ばれました。そこには先生達が集まってて「これらの本はもう処分するから満(マン)さんの欲しい本があったらどれでもええけん持って帰り!」との事!

 

 

もう、僕があちこちの本を物色するのを先生がニコニコして見ててくれて「悩むくらいやったら持って帰ったらええんやで」言うてくれて、とても幸せな時間を過ごした事がありましたっけ。

 

でもね、結局ね。天邪鬼な僕はその本の山の中からたしか3冊だけを選び抜いて「ありがとう!」って持ち帰ったように記憶している。先生方は持ち帰れんくらいの本を選んで困る姿を想像していただけに少しガッカリした様子だったが僕にとっては宝物の3冊になって事は言うまでもない。もちろん伝記は選ばない。相当読み返していたから持ち帰ろうなんて思わなかったんだと思う。

 

あ~、懐かしい本の思い出話。

 

 

 

 

 

 

 

って、引越しの話は!!!

 

 

 

ほ、ほんまや!

 

 

本だけに・・・・・

(何じゃそりゃ!)

 

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