ラモス会長 | 伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 先日、ラモスさん(通称:会長)主催の音楽祭に顔を出してきました。



 ステージの上で太鼓を叩いていたので、アイコンタクトしてサムアップで挨拶。7年ぶりに会長の顔を拝めてホッとした。

 

 昨年、脳梗塞を患って大変な経験をしたそうだが、順調に回復しているようで、気持ち良さそうに太鼓を叩きながら歌っていました。

 


 

雰囲気を楽しみながら演奏したり歌ったり

 

 私が読売クラブに入団したのは9歳のとき。

すでにジョージ与那城さんやラモスさんがスタープレーヤーとして活躍していました。

 16歳のときにトップチームとの紅白戦で初めてラモスさんと同じピッチに立ちました。


 情に厚く面倒見のよい会長。ただ、ピッチではいつ雷を落とされるかわからず、若手選手は皆んなビビっていました。


 会長に実力を認めてもらうことが、あのチームでやっていくための関門と言っても過言ではありませんでした。


 ある日、練習中に自分のミスで失点すると、「こんな下手くそと一緒にやってられねえよ!冗談じゃないよ、ポーハ!!」とブチ切れてゲームから外れて出ていってしまった。(ある意味、監督より権限があるので、ゲームにも自由に出入りできる)

 

 「ああ、俺終わったな」


 練習後、年上の選手たちが次々と慰めにきてくれたが、しばらくの間凹んでいました。

 

 振り返れば、会長には節目節目でとても可愛がってもらった。

 パルメイラスに移籍する直前の1996年。

私が19歳のときにリオデジャネイロで開催されたビーチサッカー世界選手権に日本代表選手として招いてもらった。

 

 

ボールを運ぶ会長と自分。当時19歳でまあ若いこと

 

 私が20歳のときには、パルメイラスからJEFに移籍したときも親身にアドバイスをくれた。

 

 それから20年後、味の素スタジアムで開催されたチェリティーマッチに呼んでもらい、そこで再会。

 あの試合で20年ぶりにユニフォームに袖を通したことで、成仏しきっていなかったサッカーに対する後悔の念が消えました。

    

   

チャリティーマッチ。きーちゃんと藤吉くん、会長

  

 数十年前、今の自分たちの姿など想像できなかった。


 人は今がすべて。

 過去にどんな功績を残していようと、今がダメなら。。。そういうこと。

 過去がダメでも、今を楽めているならそれがなにより。

 

 会長くらい多岐にわたる経験してきた人は稀だろう。半端じゃない苦労を自分にも他人にもかけてきた人。常人の4倍くらい喜怒哀楽の激しい人だが、感性が豊かで魂レベルが高い人。

 

 あの歳になっても大勢の仲間が集まってくる。

そして、その人たちを心からもてなして楽しませる。ボールはなくても、それが出来る人。


 いつまでも元気で愉快な日々を送ってほしいと思う。