環境と変化 | 伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

 先日、6月に胆管炎で倒れて緊急入院し、胆嚢摘出手術を受けた母の快気祝いに出かけた。


 コロナの感染拡大防止のため、家族も一切面会することができず、認知症が進行してしまうことを懸念していた。


 実際、退院してからめっきり耳が遠くなり、補聴器なしでは50cmの距離で大声を出してゆっくり話し掛けても聴こえなくなってしまった。

 次第に表情と感情の起伏が乏しくなり、なにをしても無反応で寝てばかりの生活に変わった。

 出掛ける当日も、日にちを勘違いしていた。


「もうダメなのかな。」

そう思っていた。


 ところが素敵な旅館に着くと、補聴器なしでも2メートル先から難無く会話が成立した。

 補聴器を装着していると思わせるほどハッキリと聴こえていたし、言うこともちゃんとしていた。表情も豊かになりよく喋る。


 聴覚や脳神経の問題ではなく、外部環境からの刺激が彼女を一瞬で変えたのだ。


 撮影してもらった写真を見ると、満面の笑みを浮かべていた。

こんな笑顔を見るのは、いつ振りだろう。



 当日の朝も出掛けることを忘れていたらしいが、連れ出して本当に良かったと思った。


 母の突然の変化を目の当たりにし、年寄りに必要なのは薬でも安静でもなく、体験を通じた楽しい刺激なのだと改めて思った。



 人間は健康や長生きのためではなく、いまを楽しむために生きている。それは若人も老人も同じ。

 老人こそ残された時間をめいっぱい愉しむべき。


 ただ、年寄り=親は一人で自発的に楽しんだり行動したりしない。

 ゆえに、年寄りに商品券や旅行券を渡しても億劫がって出掛けてはくれない。

 いちいち難癖をつけて従わないのが年寄りの特技。


「どうせ言っても聞かない」と諦め顔で嘆く人もいるが、そんなの当たり前。

 口で言うだけでなく付き添って行動を共にする厳しさと思い遣りが不可欠。



 高齢者の関節は癒着と強張りで、若者の3倍くらい動き辛くなっている。しかもちょっとした動作で痛む。

 何事も億劫に感じて、なにもしたくない気持ちも理解できる。

 だからこそ、文句や嫌な顔をされたとしても、手を強引に引いて連れ出してやらなければいけない。



 年老いた親を励ますのは、本来行政の役目でも介護士の役目でもない。

 何があっても見守ってくれた存在に恩返しするのは、我々子の定めだと思う。

 自分は親の最期を馴染みのない環境で迎えさせるつもりはない。幾多の障壁があったとしても、やり切った後には何かあるはず。

 既に苛立つ感情が収まり、心穏やかになってきた。これは有難いこと。



 彼女の笑顔が曇らないように新たな刺激を提供していこうと思う。