引っ越し | 伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

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最近.引っ越をした。
両親と甥っ子を呼び一緒に暮らしている。
喜寿を迎えたおかんが元気なうちに、残された時間を皆で愉しく過ごしたい、自分の中で悔いを残すようなことをしたくないと思い、そうすることにした。

37年間、やりたい事をやりたいようにやってきた。
いや、正しくはやらせてもらってきた。
折角頂いた命=時間を、精一杯楽しむことにはついては、誰よりも真剣にこだわってきたと思う。
もう、いつ逝っても悔いはないところまできているが、生かされているうちは、世話になった人たちが喜んでくれそうな事をしていたい。
家族は、優先順位のトップにある。

 好き勝手やってきて分かった事は、自分だけの楽しみなんて直ぐに尽きてしまうという事。かわりに、人を楽しませよう、喜ばせようという楽しみは尽きない。なんたって、ちっとも思い通りにいかないから。
ときに、腹立たしくなる時や、せつなくなる時もあるが、好きな連中を楽しませることにリミットはない。
誰かが笑ってくれてこそ、自分も笑えるんだろう。

 さて、引っ越してから今日までの日々は、人間修養の日々となっている。
実の親であっても、毎日顔合わせるとなればストレスが溜まると思い、実家よりも3倍広いマンションを借りた。
真下が公園なので見晴らしが良いし、両親も犬たちと日向ぼっこができる。
爺ちゃん婆ちゃんと川の字で寝ていた甥っ子にも、念願の1人部屋を与えられる。
 みんなにとって良いこと尽くしなのだから、「こんな素敵なお家を有り難う!」と手放しで喜ぶ様子を想像し、お気楽な一人暮らしを捨てて家長になった。

 うちの親は「貯金なし、年金なし、持ち家なし」と3拍子揃ったハッピー家族なので、金銭的なことは全てこちらが面倒をみることになる。
揃えなければいけない家具や物が沢山あるうえに、家が広くなれば高熱費も半端じゃない。
 お金が掛かっても、皆が快適な暮らしを満喫してくれるならば。。。と頑張ってきたが、みんなの反応は想像していたのとは大違い。

やれ「交通の便が悪い」だの、やれ「隣人たちが愛想がない」だの、なにかにつけ不満や文句を垂れている。
年寄りが新しい土地に順応するのには時間が掛かると聞いていたが、本当の事だ。
甥っ子に「どうだ、自分の部屋はいいだろ?」と尋ねても、「まあ~ね~」なんて気のない返事が返ってくる。
こーのーやーろー。

「親の心子知らず」というが「子の心親知らず」もある。

「こんなクソ忙しいときに、衰えゆく親と反抗期の甥っ子と暮らすなんて、俺はとち狂った判断をした」と嘆いたこともあったが、今は考え方を変えている。

 他人に対してはやる事は、すべて自分が好きでやった事だから、行動を起こした直後に忘れるようにしてきた。だから、何の反応がなくてもガッカリすることはないのだが、つい家族だと、「ありがとう!」なんて笑顔で言ってくれるのを期待してしまう。
 でも、そういう反応を期待することも、求めることも止めた。
俺がやることは全て自己満であって、必ずしも彼らが望んでいる事とは限らないし、場合によっては、ありがた迷惑ということも有り得る。

過ぎたるは及ばざるが如し。
とりあえず、求められるまでは放っておくことにした。

そして、家族にこう伝えた。
「あんた達を幸せにするために俺は生きているわけじゃないけどな、幸せになってもわないと、俺が幸せになれないから幸せにするわ」

毎日「3人増えたって屁でもねぇや」と、自分に言い聞かせている。

厄介なことも多いけど、成長する糧を与え、働く意味を明確にしてくれた家族に感謝する、、、ようにしている。