おくれポンチ | 伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

 幼い頃からいかれポンチと言われることが暫しあった。
ポンチってなんだろう?
まあ、由来はどうでもいいが、今回の旅では殆どwi-fiが入らず、ネットワークからずっと外れていた。

普段はテレビを見ない代わりに、googleニュースを1日4~5回開き、そこから情報を得ているが、11日間は日本のニュースを全く見なかった。

これが、なかなか心地よい。
大人としてニュースを観ない、新聞を読まないと、世間からおいてかれてしまう。恥ずかしいこと。
そんな強迫観念的なものが、誰にでもあるのではないだろうか。

 しかし、知らなくてもよい、どうでもよい情報を次々と取り込むことによって、私たちの感情はかき乱されている気がする。
遠くの地域で起きたいじめ、一生行くことがないかも知れない地域で起きた凄惨な殺人事件、警察官や裁判官による電車での盗撮、政治家の不正や何処かの死亡事故など。
垂れ流しの情報に、いちいち腹立ったり、恐れたり、悲しんだり神経を尖らせたりしていることが、実は無駄なことではないかと思う。。
世の中、タイムリーに知らなくてもよい情報ばかりだ。

帰国して4日目になるが、引き続きニュースを観ていない。
クライアントさんが話題にする、どこかの殺人事件の話題や日本シリーズの大誤審の事についていけなかったが、別にたいした事ではない。
「なんですか、それ?」と聞けば、それで済む。
自分が独自の話題を持っていれば、その事を話した方が面白い。

情報を選択して、煩わしさを排除するって悪い事ではない。
余計なもので心が埋まっていない分、目の前にいる人、目の前で起きている事に集中できる。
なにより胃が楽だ。
今まで要らぬ情報のせいで、漠然としたイライラ感に侵されていたのだと痛感する。

この際、ニュースに疎い遅れポンチでいい。
いかれポインチに、おくれポンチで加わり、増々外れた大人になっていく。