ストレスと痛み | 伊藤和磨オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 昨年の暮れに数人のクライアントさんから、「試してガッテンで、腰痛の原因は椎間板ヘルニアじゃなくて、ストレスだって言ってたわよ」と言われた。
「腰痛で苦しんでいた人が、犬を飼ったら治ったのよ!」とも。
最初は適当にスルーしていたが、知人達からも同じような事を言われたので、一応チェックだけしておこうと番組のHPを開いてみた。

「ストレスによって脳が痛みをつくり出していた!」
要約すると、慢性疼痛を抱えている人は、ストレスによって痛みを抑える物質が分泌され難くなっているので、好きな事、楽しい事を意識的に増やして、鎮痛物質の分泌を促せば痛みがなくなるという話。
昔から、慢性の腰痛症や頚椎症の原因はストレスだと言い張っている専門家はいた。
「腰痛は怒りである」と断言しているお方もいる。

腰痛の原因が怒りとストレスね。。。
ふーん。俺は犬2匹かっているけど、頚の痛みは悪化し続けているけどな~。
楽しいはずのデート中だって常に頚が痛いし、キックボクシング終わった直後だって痛い。
確かにランニングなどの有酸素運動は、体内の鎮痛物質で最強といわれている「内因性オピオイド」の分泌を促すので、走っている最中は痛みを感じなくなる。それは体験的にもわかる。

怒りや不安、緊張といったネガティブな感情は交感神経を活性化して、筋肉と毛細血管を収縮させて血流を阻害する。もともと問題がある部位は、さらに血流が悪化して「虚血性疼痛」などを引き起こす。
そういう意味では、ストレスや怒りが痛みを増強させていると言えるが、精神的な落ち込みは複数ある要因の1つにしか過ぎず、腰痛症の主たる誘因に挙げるの拙速な考え方だと私は思う。

誰だってストレスを好きで溜めているわけではない。
何がストレスになっているか自覚できている人も多くないはずだ。「ストレスをなくせ」というアドバイスほど漠然としていて、人を困惑させるものはない。
腰痛症の再発を回避するためにメンタルケアは勿論のこと、日常の作業姿勢や作業動作フォーム、呼吸の改善など、やるべき事は山積している。症状の原因をストレスのせいにしてしまうのは、プロフェッショナルとして恥ずべきことであるし、白旗をあげているのと同然だと私は思ってしまう。

 疼痛は人の心を確実に蝕む。
人から笑顔を奪い去り、いつも眉間に皺を寄せた表情に変わっていく。
他人に対して寛容でいられなくなり、些細な事で苛ついて相手に当たるようになる。周囲の人は距離をとるようになり、最後は引き蘢りがちになって孤独を深めていく。これが慢性疼痛を患っている人たちが陥っていく、ひとつのパターンである。

 画像検査の所見に異常が認められなくても、慢性痛を訴える患者に対して「あなたの性格が内向的で暗いから痛いんです」というニュアンスの言葉を浴びせる医師(整形外科医•心療内科医)もいる。
しかし、毎日毎日痛みを感じていたら、どんなにタフな人間だって心が折れたり萎えたりしてしまうものだ。
「この年齢でこんな状態だったら、この先どうなってしまうんだろう」
「俺の腰は一体どうなってしまったんだろう」「いつになったら職場に復帰できるのか」
このように考えて、先を憂うのは普通のことである。

 持続的な痛みこそが最大のストレス。
「ストレスがあるから痛む」という考え方も否定しないが、「痛みが続くからストレスが強くなる」という考え方も同時にもっていて欲しい。私は今現在も自分自身が止めどない痛みを抱えている者として、そう思っている。

 ストレスが最大の原因と言い切ってほしくないが、「椎間板ヘルニアが腰痛症の原因ではない」とNHKの番組で全国に発信してくれた事は大変意義深いことであるし、数十年前から停滞していた日本の腰痛療法に風穴を開ける切っ掛けの1つになってくれたらと期待している。

これまで慢性疼痛によって鬱になってしまった患者と数多く対面する機会があったが、患者と接するときは痛みに挫かれた心を再建することを試みるのと同時に、腰痛症に対する誤った認識を根底から覆すに根気づよく正しい知識を繰り返し刷り込んでいる。
患者の中には接してきた医師や治療かを逆恨みしている人もいる。
症状が悪化した事を他人のせいにして「被害者」でいようとすると人間には、自分の責任で腰痛を招いたという自覚をもたせるまで、様々な角度から説得する。時には喧嘩になって険悪なムードが部屋いっぱに漂う事もあるが、私は所謂「接客サービス」をしているつもりはないので、ニ度と来てくれないても構わないと思って対峙している。実際、自分に対して嫌悪感をもった人も少なくないだろう。
それでも目指すのは患者と共闘すること。一回限りの縁であっても、患者の中に建設的な考え方を植え付ることを意識している。