食べログの裁判に思う。 | メモらんだむ

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<食べログ>店の情報削除求め提訴 札幌の会社
毎日新聞 5月8日(水)22時1分配信

 飲食店の情報サイト「食べログ」に事実に反する内容が投稿され、来客が激減したとして、飲食店などを経営する札幌市の会社が8日、サイトを運営する「カカクコム」(東京都)に対し、店の情報の削除と損害賠償220万円を求めて札幌地裁に提訴した。

 訴状などによると、同社は昨年2月ごろ、札幌市近郊の店の情報を食べログに登録。今年3月ごろ「出てくるのがおそい」「まずい」などとの投稿が掲載されたため、メールで同社に店の情報の削除を3、4回要求。だが、同社は「内容に違法性がないので削除には応じられない」として拒否したとしている。

 原告側の高森健弁護士は「掲載を拒絶する店の情報を掲載し利益を上げるのは不正競争にあたる。真偽を問わない口コミを投稿させる状態は営業権を侵害し、違法だ」と話している。

 カカクコムは「訴状が届き次第、適切に対応する」としている。

 食べログを巡っては、2010年に佐賀市の飲食店が、掲載の内容が更新されず客に誤解を与えるとして削除を求めて提訴。その後、カカクコムが情報を削除し、飲食店は訴訟を取り下げることで合意した。【山下智恵】

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食べログなどは今まで無かったような消費者の意見が明確に表示される仕組みではあるし、知りたい情報も多く持っている便利なサイトだとは思う。
しかしながら、書き込む側のモラルが必要なのだろう。

モラル条項の徹底をするには、やはりどういう意義を持っている仕組みなのかを運営者側にはもう一度考え整理するきっかけが必要なのだと思う。気に食わないという様な意識を持った書き込みが多くみられるのは「批判も意見の一つとしていい。」という視点なのだと思う。

今の世の中は昔と比べて、サービスに対して、受ける側の神様度が上がりすぎている時代になってしまったのも少し、ゆがんでしまっている構造のように思う。「愛でる。」というような愛情に満ちた感覚や、「お互いさま。」というような人間社会においてもっとも大切なことが忘れられて、常にチェックする目で見てしまっている。少し気に食わないことをされたらこき下ろすというような発想は、昔の暴君が従者が間違えた瞬間に首を切って命まで奪っていたような時代の殺伐とした、心に余裕のない、触れば切れてしまうようなものを感じる。そもそも、昔は自尊感情が低い人が社会で発言しても自分の踏みにじられたプライドの奪還に終始するのみで、他の人に影響する声にしてしまうのは問題がある。「個人批判をしない。」などのガイドラインはあるが、店に批判的な評価しかしないでもその評価が大きく影響してしまうのだ。

僕が感じる食べログの問題は以下のようにある。

・自身の内面にある自己重要感の低さを補うためのツールに使われやすい。
  自己重要感が低い人、自尊感情が低い人は他人の批判によって
  相対的に自分の社会的位置が向上するという事を心のよりどころとして
  ネットでの意見表明を繰り返す。彼らからみると食べログもその一つの表現の場。
  すると、批判を繰り返すことになる。

・店の純然たる利用者以外の利害関係者の書き込みが判別できない。
  店に行く事実は誰にでもできる。食べることだって。
  例えば店の主人に恨みがある人物が食べに行くと、
  批判的な内容をバランスよく織り交ぜて、恨みがあるとわからないようにしながら、
  店の評価を落とす行動がとれるし、自分の友人の店の評価は必然的に高くなる。

・ファンをつくる店と、身内だけで繁栄している店の区別がつかない。
  毎日通い合くなる素晴らしい店は必然的に顧客との関係ができ、結果知り合いになり
  友人関係にまで発展するというような、サービスの境をビジネスライクに持たない
  いわゆる「本当のサービスができている。」様な店と、
  店の主人がたまたま仲間が多く「○○ちゃん、店を出したら俺、毎日行くよー。」
  という身内の店、いわゆる「知り合いの溜まり場」との区別ができない。

・経営権が移譲された様な店の評価もどうしてもうまく反映されない。
  過去に評価が悪かった店が、経営が変わって改善行動をとっても、
  評価点が上がるのが非常に困難であるという事実。
  店側がどんなに努力をしても削除できないコメントに左右されるのは、
  現状の実態をリアルに伝えられないという蓄積型メディアであるネットの弱点。

・B級グルメの店とグランメゾンなどの高級店が同じ土俵で評価されている。
  そもそも、ファストフード店とグランメゾン、立ち食いそば屋と日本料理などが
  ジャンルの違い価格の違い、シュチュエーションの違いだけでセグメントされていて、  カテゴリーキラーなのか、それとも、そもそも全くドメインが異なる店なのかが分かり  にくいし。レビュアー自身の中でも、意味合いが混乱しやすいと思う。

・受け取り手の問題
  ネットの書き込みを、さまざまな事を本質思考で見極めている人だけで見ているのなら
  おそらく問題も起こらない。表層で流される人が多く、噂や根拠のない情報で
  判断する事は本当はあまり意味がないことであると理解している人は少ない。
  マスメディアで根拠が不足している事を放送しても、右に左に左右されるような
  根拠を探る考えのない人たちが多い中で、ネットという情報源を有効に活用するという
  効果面だけでなく、それに判断が左右されすぎるというのも。

・(もっと根本に遡ると)この社会にあった教育がなされていない。
  本質思考教育の必要性や、根拠探求の能力の必要性が20年前とは比べられないほど
  大幅にアップしている。それなのに教育は変化していない。また情報の流通量に比べて
  個々人の持っている価値観、判断軸が弱い。

食べログ自体は場を提供している企業だというだけなので、書き込んで表現の場として利用する側、また、読んで実質行動に移し、活用する側利用する側の問題ではある。
ただ、これには利用者としての二つの軸以外に、意図せず利用される側になっている受益者、被害者になりうる「店」という存在がある。

もちろん飲食店の繁栄を促したりする要素も多いネット情報。恣意の入ったコントロールの危険性はある。その店の意見をある意味で聞きながらも、ネットに殺されたという追いこみ方になってしまうようなことは、人間社会の在り方としてもモラルに欠ける存在になってしまう可能性も忘れてはならない。

人が判断するうえでも、本質的な判断はさまざまな情報を統合して判断することや、「なぜ」発想を徹底的に積み重ねること、それから己を勘定に入れず考えることなど、常に微妙なオペレーションが必要になることではあるが、この繊細さはオペレーター一人一人に宿すことが難しいことでもあるし、ましてやネットのプロトコルに組み込むことやロボットに期待してもまだまだ道は遠く、難しいものなのかもしれない。