掃き溜め | 松嶋初音 公式ブログ『松嶋す。』 Powered by アメブロ

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うまくいっていないのである。

現状を整理すればとてもいい状況なのである。謳歌していいのである。享受していいのである。だが、私という人間はそういった良いことが起れば起こるほどうまくいかないのである。

幼い頃、親に誕生日やクリスマスなどのイベントごとでプレゼントをもらったときに、私は開口一番「ごめんなさい」と言ってしまったのである。親はとても驚いて、そのあと悲しそうな顔をしていたのを今でも覚えている。私のこの「ごめんんなさい」の内訳は、私のためにお金を使わせてごめんなさい、私がいなければこんなことをしなくてよかったのに、ごめんなさい、なのである。

親は素直に喜ぶ私の姿を想像していたであろうに、それについては更にごめんなさいなのである。子どものためを思って、子どもの喜ぶ顔を想像して子どもに気付かれないように時間を作ってプレゼントを買ってきたのに、その当の子どもは喜ぶどころか申し訳なさそうに謝罪してくるのである。

嬉しくないわけではなくて、自分が嬉しいという気持ちよりも先に申し訳ないという思いがゴールテープを切って出てきてしまうのだ。いつからこうなってしまったのか、気がついたときにはこうなっていた。

うまくいかないのである。

こうして文章を書いていることについて、とても嫌な予感があった。誰でもそうだと思うが、人は定期的に落ちる。がっくりと、どっぷりと、どす黒い塊が泥のようにこびりついて地の底まで引きずり落とそうとしてくる。わかりやすいきっかけなどなく、突然にゴトンと落ちる。

助けを求めようにも、そういうときは素直になれないものである。対象の相手がいれば「抱きしめて欲しい」と言えば解決するかもしれないし、大金が舞い込んでくれば気分が落ちていたのは嘘かのように晴れやかな気持ちになるかもしれないし、寝て起きればケロリと治っているかもしれない。だがそうは簡単にいかないのが現実なのである。

これは一種の自慰行為だと私は思う。この定期的に落ちるということと、自慰行為について一切経験がないという人は今すぐこのページを閉じて二度と来なくていい。きっと一生わかりあえないし、私の書く文章に共感することはないと思う。

話を戻そう。自慰行為というのは、自分を慰めることである。慰め方は人それぞれだと思うが、慰めるにあたっての対象が必要になる。それを自分の中から生み出すことができる人もいれば、DMM.comという最強の味方をつけている人もいる。そういった、解決するまではあの手この手と考えて一度ゴールを迎えれば、なんであの時自分はそう思っていたのかとすっかり忘れてしまっているそれと、落ちている自分を立て直す行為は同じことなのだと私は思う。

落ちているときに助けの手を伸ばす相手はこちらが選びたいと思っていて、それはこれ以上のわがままはないだろうというくらいひどいことだが、しょうがないことなのだ。自分勝手なのが自慰行為というものなのだから。

はてさて勝手なことを書いたついでに言うが、最近は古川いおりちゃんにゾッコンなのである。今、頭の中にいおりちゃんをほんの一瞬登場させただけで少し元気がでた。いおりちゃん強い。どうやら私の治療薬はDMM.comにあるらしい。

そんな吐き散らかし。


おわり。

まつしまいおり