地震!!
母をおぶって逃げなくては。
部屋を飛び出し、アッと気がついた。

母はもういない。

なんという元旦だったでしょう。
おそろしくて、震え上がってしまった。

それからまた、次から次へといろいろなことが起こり。
私には何ができるかしら?
若い時ならいざ知らず、無力な自分に涙があふれる。

令和6年能登半島地震により犠牲となられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。

1999年6月頃、
私は誰に頼まれてもいないのに日比谷公園のホームレスたちに話しを聞いて回っていた。
ちょっと覗いてみるつもりが、9月末まで続いた。

この体験はひとまず置くとして、
「ニューヨークはどうなの?」
と私が高校時代を過ごしたニューヨークのホームレス事情を知りたくなった。

インターネットでホームレス関係を調べると、なん100以上と検索結果が出てきた。
その中に、"ミッドナイト・ラン"という名前があった。
真夜中に走るとはどういうことなのかしら?

調べてみると、この組織は100ほどの市民団体から寄付を受け、元ホームレスが中心になって運営しているらしい。

早速、理事のデイル・ウィリアムさんにEメールでコンタクトを取った。

「どうぞいらっしゃい。一緒に活動してみてください」

と快く承諾してくれた。

かくして12月初旬、ケネディ空港に降りた私は、そのままミッドナイト・ランの車
が停まっているイースト・ハーレム144ストリートに直行した。

デイルさんは冷たい雨の中、ぼろアパートの階段に立っていた。
長いブロンドの髪をキュッと後ろに束ね、長身でハンサムな白人男性だ。
ケビン・コスナーに似ていなくもない。
若い男女のボランティアがその周りを取り囲んでいる。
早速私もその仲間にはいる。
傍らの白いバンには、温かい飲み物や、食料、毛布、あらゆるサイズの衣類が満載されている。

「ホームレスが寝ているのを見つけたら、"ミッドナイト・ラン、ミッドナイト・ランミッドナイト・ラン"と3回コールしてください。最初は小さな声で徐々に大きくね。2~3フィート離れてくださいよ。近づいて声をかけると彼らは怖がります。体に触れてもいけません。3回呼びかけて起きなかったらそのままで結構。彼らにとって睡眠が一番大切ですからね。今夜は雨だから注文を聞いたらあなた方が運んでください。彼らが車まで取りに来て濡れたら凍死しちゃいますからね」

細やかな指示も当然、彼も麻薬で道を誤ったホームレスのOBだった。

「それから、私がOKを出すまでできるだけ会話をしてあげてくださいよ。もう何日も人と口をきいていない人もいますからね。では出発!」

2台のバンは夜の9時から深夜の2時頃まで、ホームレスを捜して走る。

彼らのねぐらは教会の階段や軒下、ビルの谷間、駐車場など。
ダンボールは火を投げ込まれたりして危険なので、寒空の下でも毛布にくるまってうずくまっている。
ボランティアの女の子が恐れる様子もなく、スイスイと灰色のかたまりに近づいてゆく。かたまりがほどけると、中には黒人の小父さんがいた。

「何かお手伝いすることはありませんか?」

「君達はどこから来たの?えっ、ハーレムから?遠くからありがとうね」

「あのね、もっと遠くから来た人もいるよ。トーキョーよ」

と、私を指差す。
深夜のこの異様な光景には、足もすくみ言葉も出ない。
恐る恐るサンドイッチを差し出す私を同行の女の子はそっと制して、

「あの、ビーフ、ターキー、サラミがあるのよ。どれがいいかしら?」

と、優しく尋ねる。
そうだわ。
与えるんじゃなくて彼に選ぶ権利を。
それが人間としての最低の尊厳だと、デイルさんから説明されていたのに……情けない。

衣類選びも

「スボンのウエストは34インチだよ。これじゃ太いよ」

「ジャンパー持って来てよ。この色は汚れが目立つから駄目だ」

「もっと暖かいコートがほしい。もっとカッコいいスーツはないのかね」

と、何度も車まで往復させられ、こっちはずぶ濡れになる。
彼らは気に入ったものを見つけるまで断固として妥協しない。
2つのバンに載っている何十個ものダンボール箱を暗闇の中、懐中電灯を口にくわえて捜し、衣類をひっくり返しながら注文の品を見つけるのは至難の技。
手袋をしていないので、衣類の染料のせいで手はガサガサに荒れてしまう。
アメリカには"適当"という単語はなかったんでしたっけ……?
指先が割れて痛み、泣き出したくなる。
「いい加減にしてよ」と喉元まで出かかる。
しかし彼らが真剣になるのは当然のこと。
サイズが合わなかったり、ちぐはぐな色を着ているとホームレスとすぐにばれてしまい、ビルのトイレも使えず職にもありつけない。
彼らにとっては単なるファッションではない死活問題なのだ。

その晩は5ヶ所を周り、70~80人と接触した。
公園の広場は鉄柵でぐるりと囲まれ、まるで犬とホームレスは入るなと言わんばかり。
麻薬中毒、アルコール依存症、精神分裂、家庭内暴力、レイプの被害などなど、耳を塞ぎたくなるような言葉がポンポン飛び出してきた。パンドラの箱を開けかけてしまったような……

あの時の私は、何とか耐えられた。
でも今の私は……情けないったりゃありゃしない。

現場に行ったって、足手まといになるだけ。
でも何とかしたい。何かしなければ……
私の頭の中はグルグル回っている。