自分はどうやって死ぬのかな?
時々、想像をたくましくしてみる。
知り合いが、次々と亡くなる。
若い人も、同年齢も……
4年前、母が亡くなった時
100歳と8ヶ月だった。
老木が朽ち果てるように、静かにいくかと思っていたのに、
まるで違っていた。
マグマが爆発したような壮絶さだった。
帯状疱疹、誤嚥性肺炎を発症し、母のどこにこんな力が残っていたのだろうか。
お医者様、看護師さん、私。大いに大変だった。
まだ生に対する執着が残っていたのだろうか……
最期は、とても穏やかに、私の腕の中で
死を迎えてくれた。
もうひとつは、ずいぶん昔の話だが
ヒョウに第四頸椎をかみ砕かれた時だ。
ヒョウの瞳孔がキュッと絞られ、私に飛びかかってきた瞬間のことは、はっきり覚えている。
私の首の骨がガリガリッと砕ける音がハッキリ聞こえた。
目の前が真っ白になった。
“ 死んだ! ”
私の記憶はそこで途切れている。
第四頸椎粉砕骨折、これでも死ななかったのだ。
私の経験によれば、死ぬのは大変なのだ。
なかなか死ねない。
三途の川を渡り綺麗なお花が咲いていたのを見た、と説明してくれた人がいた。
でも、その人は生きていた。
お医者様だって死んだ経験はないはずだ。
みんな、初めてなのだ。
「死んでみたら、こんなだったわよ」と友に説明できないのがもどかしい。
私は、面白く語ってあげられるのに。
ままならぬのなら、せいぜいその日まで、楽しいふりをして
生きましょう。
キット、何か良いこと
あるはず。