ニューヨークのクリスマス・ツリー
パリのクリスマス・ツリー
ワシントンのクリスマス・ツリー

母とのプライベートであちこち見てまわりました。

私の子どもの頃は何故かクリスマスの仕事が華やかで、5~6軒ホテルを走り回り、その忙しかったこと。
2~3曲クリスマスソングを歌い、次のホテルへ。
ダークダックス、ボニージャックス、デュークエイセスのお兄さん達と出逢い、

「よ!」

「またね!」

とにかく忙しかった。
もちろん控室はあるが、そんな所に行っている暇はなく、何故かあの頃の宴会場の隣は調理場で、私は銀盆にのった大きな七面鳥や、巨大なケーキの隣で出番を待っていた。
嬉しさもワクワク感もなく、それはお仕事だった。
調理場の床はタイルなので、水でビチャビチャしてて、新しいドレスの裾をまくりあげていた。

ニューヨークの寄宿舎にいた時はみんなふるさとに帰ってしまう。
「モキ(愛称)おいで」と招待されるが、まだ不自由な英語でよそさまのお家に入る勇気がなかった。
一番親しかったルームメイトのひとりはアリゾナ、もうひとりはパリ。
ちょっとばかり遠かった。

寄宿舎を追い出され、つまんない宿舎にひざを抱えて入ってたなー。
あの時がいちばん寂しかった。
まわりはキンキラキンですもの。

それから何年経ったかしら。
留学も終わり、いつものクリスマスが始まる。
母の自宅介護・コロナ禍がやってくる。

あの頃のことは全く記憶によみがえって来ない。
どうやって乗り越えてきたのかしら。
母の耳元でそっとクリスマスソングを歌ったことを思い出す。

母が亡くなって2年。母の大好きだった恵比寿のウェスティンホテルのクリスマスツリーを眺める。
30何本全部飾り付けが違ったそうで、母は楽しそうに見て回っていた。
寒いのに外に置いてあるバカラのシャンデリアが好きだったわね。

また行きましょうね。

ニューヨークでホームレスのインタビューをしたことがある。
男性の黒人に聞いたことがある。

「ホームレスっていうけど、あなたにとってホームって何ですか?」

「ホーム、難しいね……母のいるところ、それが私のホームかな?現在92歳だけどまだまだ元気なんだ。」

「お母さんがいなくなったら?」

「それでも同じだよ。母は心の中に住んでいるから」

「本当にそうね」

「だから私は単にアパートメントレス(=宿なし)であり、ホームレスじゃない」

ホームは私の心の中にちゃんとある。
胸のあたりをホッコリ抱きしめ、母のぬくもりを確かめる。