アジッ!アジッ!アジッ!

何とも騒がしい今日この頃の私。

部屋の中は涼しいのでなんともないのだが、日中に外へ出ると

アジッ!アジッ!アジッ!

そういう時に限ってタクシーは止まってくれない。
赤いサインは出ているのだが迎車。アプリで呼ばれたのだろう。

昔、映画の時代劇の撮影は京都と決まっていた。

盆地で、炎天下。
その上カツラ、化粧、衣裳。
スターは顔に汗をかいてはいけないなどと理不尽な事を言われ、背中はビシュビシュでも顔はスッキリしていた。
不思議な魔法にかかっていた。

あの時、あなたは若かったのよ、と言われると言葉もないが、本当にそれだけだろうか!
今は気候が変!地球のご機嫌ったらどうなっちゃったのかしら!(-_-)

若い時の私はテレビの仕事で、世界中を飛び回っていた。
何でも見てやろうの精神でハンドバッグに常時パスポートを入れていた。
成田に帰ってきたら、別の仕事で次のスタッフと合流し、ベトナムからカナダへ。母が冬物のスーツケースを空港へ持ってきてくれた。
空港には美容院もシャワー室もある。

「またですか?大変ですね」

係の人に言われるほどのご常連だった。

私は独身。英語も出来る。
それが売れっ子の理由のひとつだが、女優さんの多くは、やれパリだニューヨークだローマだ、美しい所を好む。ホテルも一流、衛生第一。
ところが私ときたら、テントで野宿・外のトイレ、も大丈夫。
ちょっとばかり汚ない水はシャワーに使い、ミネラルウォーターは歯磨きと飲み水のみ。
辺境地タレントと自分で豪語し、辺鄙(へんぴ)なところばかり旅をし、大いに楽しんでいた。

アフリカも南アフリカだけは行くチャンスがなかったが、西、東、中央と結構まわった。
35度超えなど普通。
40度を超えてもケニアは高地なので夜は涼しかった。
流石にセネガルは50度を超えるので、暑いというより痛かった。

セネガルのオリエント急行列車に乗せてあげる、というのには騙された。
走ることは走るが、すぐに脱線。暑さでレールが曲がっても待つのだ。
助けが来るまで、獣が寄って来るので火を焚いて野宿。
トイレは丸い穴があいているのみ。
結局体から汗が出てしまうのか、トイレは使わずに済んだ。

脱線していると窓から、洗面器にゴハンを盛り、鶏の丸焼きをのせたものを村の娘達が売りに来る。
こちらも列車がいつ動くか分からないので買う。
乗客同士、手づかみで食べる。
私はこれが苦手だが、撮影だから文句も言えない。
仲の良くなった女の子は、私の口に美味しそうな鶏の部分を手づかみで入れてくれる。
ウーン。
迷惑だけど、好意だからありがたくいただく。駅があるのかないのか、絶え間なく窓から人が乗ってくる。
セネガルのオリエント急行だなんていったのは誰だ。ボロボロ。

あるパーティで現天皇陛下……その頃は皇太子でいらした陛下が、セネガルに興味を持たれていたのでお話しをしていたら、セネガルの大使が

「あなたはあれに乗ったのですか?そしてそのお話しを……」

なんとなく苦笑い。
楽しいところだけ話したから大丈夫ですョ(・ω<) 

セネガルの女性のなんとお洒落だったことか。
褐色の肌に極彩色のドレス。赤、グリーン、黄色。頭には生の花を飾り、あの暑さの中で、若い娘達は精一杯着飾っていた。

私も彼女達と同じく戦っていたのだが、もう行くのも難しいわ(´□`;
ご指名があろうとも静かにお断りしよう。
でも、あの経験は最高の思い出だ。

あの夕陽の美しさ、二度と味わえないだろう。
50度の体験も懐かしい。