朝の第一声が

「ママ、おはようございます」

機嫌のいい声の時もあり、ムニャムニャの時もあり、でも必ず遺影に声をかける。
それから、今日の仕事の事やら、逢う人のことなどのご報告。

声に出してしゃべることもあり、心の中でつぶやくこともある。
洋服を持ち出し、これはどう?
こっちの方がいいかしら?
などと相談する。
まるでひとり芝居だ。

母が生きていた時は、私はこんなに愛想が良かったかしら?
いや、かなり不愛想だった。

ひとりぽっちがさみしいわけではないが、何か、エンジンをかけるタイミングがつかめない。

それから、やっと母に飲み物を出す。
日本茶だったり、コーヒー、紅茶、それは私の気分による。
器は飲み物にふさわしいもの。
コーヒーカップに日本茶をいれたりはしない。
それは、母が私にちゃんとしてくれたことだから……

出掛ける時は元気よく

「ママ、行ってきまーす」

帰ってくれば、心配ごと、気になったことなど、長々とご報告。
新生活を始めるにあたり、様々な方のご尽力をいただいたが、どうすべきかを最終的に決めるのは自分自身だ。
いままで経験したことのない初めての事ばかり。

今までは全部、母任せ。
母は、若い時からよくもこんな難しいことをひとりでやってきたものだ。
改めて、というか、初めて私は母に深く感謝する。

主治医が「大きな契約を交わすなら、70代までに。80代になると判断が鈍ります」と言ったわけを大いに知る。
新しい家に移るのには、体力的にも能力的にも、私にはギリギリであったと思う。

母には、人にも相談できないことも、全部喋っているのだから、私のことに関しての知識は豊富にあるはずだ。
でも悔しいことに、私には母の今は、全くわからない。

どこにいるんだろう?
元気にしているのかしら?
何を食べて、何をしているのだろう。

こんなにいろんなことがわかる世の中になったのに、亡くなった人のことは全くわからない。
もどかしいったらありゃしない。

同じ頃に母親を亡くした友達は、立派なことを言う。

「母親に会うまで、恥ずかしくない人生を送り、胸をはって母親に会いたい」

本当に逢えるのかしら。
逢えたらいいな。

何と言うでしょう。
お互い恥ずかしがり屋のふたりは、嬉しいのを隠し

「しばらく……元気そう」

くだらないことを言いそうだ。