私はずっと昔から、ピーコと友達だった。

「アンタ、私と同じ年よね」

人前でも毎回大きな声で言われた。

「ピーコと同じ年なんて、私、嬉しくない!」

いつものお約束の会話。

おすぎとピーコに異変があらわれたということは知っていた。
ピーコの奇行で近隣に迷惑をかけていることも聞いていた。
久しぶりに兄弟が同居し、大喧嘩になり、ピーコはおすぎと再び離れ、現在はひとり暮らし、などなど……

面倒見の良かったピーコには友達が沢山いたはずだが、その言動に驚き、ひとり、またひとり去っていった。

ピーコは家事が全くできない。
掃除はしない、食べるものはコンビニ弁当。
それを投げ捨てるもので悪臭が漂う……

どうしてあげたらいいものか。
その頃の私は長い介護の末、母が亡くなり、自分の足の手術で入院し、退院したばかり。
心は焦れども、何もしてあげられない。
このことが公にならないことを、ただただ祈っていた。

しかし、羽鳥さんの『モーニング・ショー』で「おすぎとピーコ認知症」と報道された時、私はたまたまテレビを観ていた。
知っていることばかりだが、友達のひとりとして、とてもショックだった。
できればソッとしておいて欲しかった。
でもあれだけの人気者だったのだもの。
仕方のないことでしょう。

私は彼らが無名の頃からの知り合いだった。
最初ピーコと知り合いになったので、おすぎに逢うと、「トモ子はピーコの友達だから……」と相手にしてくれない。
兄弟の中でちゃんとテリトリーが決まっていたらしい。

ピーコはとても優しい人だった。
細々世話を焼き、世間知らずの私をアチコチ連れ歩いてくれた。
人付き合いの厳しい母も、ピーコならOKだった。
収入は絶対、私が上だったはずだが、お金の管理は母がしていたので、私は現金を持たされていなかった。レストラン、バーなど、彼が払ってくれたと思う。

ピーコはどこでも派手にお金を使い、ホテルのベルボーイ、ウェイターにもチップを欠かさなかった。
タクシーに乗っても領収書は貰わず、お釣りは「いらないわ」と、かなりな見栄張りちゃんだった。

おすぎは昔から毒舌が天才的に上手かったし、才能あふれる人だった。
ピーコは控えめでいつも弟のおすぎをたてていた。

そのふたりが、あれよあれよという間に毒舌双子のキャラクターで売り出された。

おすぎは昔からあのままだったけど、ピーコは少し無理をしているようにも見えた。

わたしもふたりの槍玉に何回も挙げられた。

悪口雑言、その後必ず影で、ピーコは「トモ子、ごめん」。

謝るなら言わなきゃいいのに……
でも、キャラ設定はつらいよね。

ピーコが眼の癌で手術をした時、私は入院中の彼に久しぶりに友達として長い手紙を書いた。
すごく喜んでくれ、新聞にも、ピーコの本にも、手術をして嬉しかったことのひとつとして、取り上げてくれた。

昔通りの優しい彼だった。
中身はちっとも変わっていなかった。

ピーコは施設に入ったようだが、今何をしているのだろう。
母と同じ病名だそうだが、あの病気は最初はかなり凶暴になってしまう。自分が自分でなくなる恐怖を感じただろう。

ピーコ、どんなに怖かったでしょう。

ひとりぽっちが嫌いだったピーコ。
優しい看護師さんがいてくれるといいね。
そのうち、ピーコに合う薬をお医者さんが見つけてくださるからね。
ゆっくり、ゆっくりね。

体の弱いお姉さまを、ピーコとおすぎが精一杯かばって、暖かく見守り、3人で寄り添っていた姿を、私は今も忘れません。