去年も今年も、ママは美しい桜を見ることができませんでしたね。
でも、ママのことだから、空を飛びながらあちこち、愛でているのかも知れません。

私は若い頃、毎年桜の咲く頃になると鬱状態になり動くこともままならなくなりました。
まだ鬱という言葉も一般的ではなく、その時期は仕事を控えざるをえず、桜の好きだった母は娘に随分気を遣ったことでしょう。

私はずっと前、日比谷のホームレスの取材をしていたことがありました。

こんなことを話してくれたホームレスがいました。

「花を追いかけて四国遍路をしようかと思ってたんですけどね、日比谷公園に花が咲き出しましてね。つい、居着いちゃいましてね。1月には山茶花(サザンカ)・葉牡丹、2月は梅、3月は椿・ソメイヨシノ、4月はハナミズキ・連翹(レンギョウ)、5月はサツキ・石楠花(シャクナゲ)・鈴蘭……」

と、淀みなく四季の花の名を数えあげる。
この人は花の絵を描く。

「私は朝、花を描くんですよ。夕方になるともう汚くなりますから……。でもこの頃花の人相が悪くなりましたね。そう思いませんか?」

と鋭い指摘。
私はそれほどの思い入れはないのですが……

時を経て、私の鬱も解消され、よく母と桜を見ながら散歩しました。
母が95歳で認知症を発病し、自宅介護の日々。100歳の母の誕生日に、リビングいっぱいに数えきれないほどの豪華なお祝いの鉢が届きました。
母は一日何回も自分の部屋から車椅子を押してもらい、リビングへ。
お家のなかでお花見見物。

毎回、初めて見るかのように「ホー、ホー」と大満足しておりました。

でも一番喜んだのは、母が最後に来てくれた私のコンサート。

会場のみなさんと歌い客席に降りて、照れ屋の私はいつも母の席を素通りするのに、その日は思い切って母にマイクを向けました。
綺麗な透き通るような声で歌ってくれました。

「ア、これが最後になるのかしら……」

お客様の席に戻ると、お客様のひとりが私にピンクの薔薇のブーケをくださいました。
急いで母の席に戻り、ブーケを手渡しました。

「本当に?これを私にいいの?」

まるで金メダルを貰ったような喜びよう。
良かった。
このことが母の記憶に残るといいのだけど……

母のいなくなった人生。
これからどう生きましょう???

もしも逢うことが出来たら、楽しい話をいっぱいできるよう、溜め込んでおきましょう。
ママ、楽しみにしていてくださいね。