永六輔さんの思い出をひとつ、お話ししましょう。
永さんはハガキをポトンとポストに入れる時の音が好きでいつもその音を確認してからキビスを返していました。
その時はちょっと手が投入口に入りすぎたのでしょう。手が抜けずグルッと回転しドタンと転んでしまったのです。
永さんは背が高い。大腿骨骨折の大怪我になってしまった。
なぜかパーキンソン病は転びやすい。
全治3ヶ月、病院の中からも生放送は続けていらっしゃいましたが……
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寝たきりからやっと車椅子になり、歩行訓練が始まった。
人間て何ヶ月も歩かないと歩き方を忘れるんですって。
ミャンマーから来た介護士さんに付き添われ、
「まず踵をつけて爪先に体重を乗せて、今度は反対の爪先!」
これがなかなか難しい。
永さんは命令通りやってみるが、恐いものだからひょろひょろ酷い格好だ。
歩きたての赤ん坊。
あちらは可愛いが、こちらは無様だ……
ミャンマー君、「上を向いて、上を向いて!」
永さん、イヤな予感がした。
永さんには、『上を向いて歩こう』という大ヒット曲がある。
「日本にはいい歌があります。"上を向いて歩こう"、知ってますね」
永さんは恥ずかしいものだから、「知りません」
「変だなー、日本人なら誰でも知ってます。知りませんか?」
「知りません!」
「じゃ、僕が歌いますから一緒に歌いましょう!」
大変なことになってしまった……
ミャンマー君、永さんの手を引き、大きな声で歌い出した。
「♪うえを む~いて、 ハイ!大きな声で……」
永さん可哀想に……ぼそぼそ呟く。
ミャンマー君、今日はやけに人目が多いなと思ったことだろう。
だって、作詞家の手を引いてその歌を歌っているのだもの。
よせばいいのに、外来まで歩を進めた。
「おいたわしや」
「おかわいそうに」
目を伏せる人もいる。
「有難や」拝む患者さんまで現れた。
永さん、その話を担当医に話した。
「あの歌、知らないと言ってしまいました」
「永さん、遠い国から一生懸命に勉強に来ているのですから、本当のことを言ってやってください」
翌日、昨日の介護士さんに
「ごめんなさい。あの歌本当は知っていました。嘘をついてごめんなさい」
「知ってたでしょう。日本人なら誰でも知ってます」
「あの歌、本当は僕が作ったんです」
「また嘘ばっかり!」
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晩年の永さんの大傑作のネタで、舞台やラジオでも何度も聞かされた。
ミャンマーやらヴェトナムやら時々国の設定の違いはあったけど……
私は永さんが亡くなってから、元ネタを知ることになる。
永さんの御長女のお出しになった本に書いてある。
大腿骨骨折も本当、歩行訓練も本当。
ただ、声をかけたのが御長女。
永さんがちょっと前屈みになっていたので
「孝雄くん(=ご家族の永さんの呼び名)、上を向いて、上を向いて」
と言っただけ。
なるほどなー。
永さんは、私によく言っていた。
「トモ子、嘘はいけないよ。だけど、少ーし膨らませてもいい」
ふーん、まるで雪まろげ(※)だ。
(※……雪の玉がどんどん大きくなること)