福はうち
福はうち

浅草の浅草寺で、何十年豆をまかせていただいたやら……

人々が境内に集まり、欄干から豆をまく。
上手に豆を取ってくれる方もいれば、ちゃんと目を合わせているのに取り損なう人も。
私が下手なのでしょう。

この頃豆は、三角のセロファンに入っている。
外国人の方々も輪に入ってくる方が多くなってきた。

この日は、私にとっては特別な日。
母の誕生日なのだ。

何事にも控えめな母が

「日本中の方が祝ってくださって嬉しいわ」

などとニコニコしていたっけ。

だからお誕生日はいつも先延ばし。

浅草寺の楽屋で用意をしていたら、社会人ランナー川内さんのそっくりさんがタスキをかけトレパンを履きスタンバイしていた。なるほど、よく似ている。
その隣に、知らない色黒の方が私の方を向いて叫んでいる。

「瀬古です!瀬古です!」

「ハァ?」

「マラソンの瀬古です!!」

私だって"マラソンの瀬古"くらい知っている。
でもお顔がまったく瀬古さんに見えない。

「そっくりさん?」と、私。

だってお隣の川内さんはそっくりさんだし。。。

「違います。僕がマラソンの瀬古です」

大きな菊の花が付いた名札まで持ってきた。

「えーほんものの???」

だって柔和でふっくらしててぼたもちみたいで……
修行僧のようだった瀬古利彦はどこへ行った。
目の前にいるのは、失礼ながらスーツを着たただのおじさん。

「ほ、本物の瀬古利彦さん」

あまりの驚愕に、私の口をついて出た言葉は……

「デートしましょう!」

「いいですョ。今日は先約があるから来年の2月3日ね」

私は一体何を言ったのでしょう。
また、瀬古さんもスケジュール帳にも書かず、マネージャーにも確認せず、風のように去って行った。
夢だったのか……
取り残された私と友達は呆然とした。

それから1年どころかコロナ禍のため豆まきは中止となり、3年経ってしまった。

「あれはなしよね」
「あんなに忙しい方だから忘れていらっしゃるわね」

テレビで観るたび「瀬古さん覚えている?!」などと叫んでいる私達。

サテ、2023年2月3日、結果はいかに???

瀬古さんの第一声が

「今日、行く?」

「ハイ」

即答だ。
密かにお友達のお蕎麦屋さん十和田の個室を予約していたが、人数は膨れ上がった。

瀬古さんの会話はとても楽しい。
勝手に寡黙な方だと思っていたのに、よく喋りよく飲みよく食べる。
誰も会話から外れないよう、気配り目配りも素晴らしく、みんなが瀬古さんの大ファンになった。
現役の時はイメージが崩れないよう、喋るなと言われていたそうだ。

「じゃ、次の回は7月か8月ね」と、瀬古さん。

誰が連絡係か場所も時間も決まっていない。
マーいいでしょう。

逢える時は逢える。
逢えない時は、逢えない。

帰りがけ、瀬古さんは、私の耳元で囁いた。

「あなたは宇宙人ですね」

……褒められたの……?