「変形性股関節症」
これが私の病名である。
変形までは許せる。問題はそのあと。
病名を訊かれ、こたえると、何故か股間を連想させる……
何事も美しくありたいと願っている私にとっては、何とも不名誉だ。
しかしこの股関節症、5年と数ヶ月、私を悩ませ続けた。
歩くと激痛を伴い、数日歩行出来ない時もあった。
仕事の時は、痛み止めの注射を打ってもらい、薬を飲み続けていた。
なぜ、放っておいたか。
私の母が95歳の時、レビー小体型認知症を発症した。
老人施設を断固拒否、自宅介護を余儀なくされる。
沢山の医療従事者に恵まれたが、夕方から朝の9時までは私が全責任を負う。目を離すことができない。
私の病気の手術のため、約3週間の時間を確保するなど、全く不可能だった。
私はその間、必死に耐えた。
荒れ狂っていた母も次第に天使のように優しく可愛らしく、本来のレディの姿で100歳の大往生を遂げた。私は、母が亡くなったら……正直なところ、万歳三唱、バラ色の人生が待っていると思いこんでいた。
あれもしたい、これもしたい。やっと自由になれる。
でも、現実は大違い。
涙も出ない程の落ち込み様。
体の半分がもぎ取られる程痛く、体がバラバラにならないよう、自分でしっかり抱きしめていた。
母の遺影の前にうずくまり、為すこともなく座り込んでいた。
「ママのところにいきたいな」
呟く私に、永六輔さんの声が聞こえた。
「トモ子、君が死んで、一人でも泣いてくれる人がいたら、自殺はダメだよ」
言われた時の私はまだ非常に若く、仕事も人生も順風満帆だった。
その時はピンともこなかった言葉が蘇えってきた。
泣いてくれる人は何人いるだろう。
一人はいるわよね。指折り数えて片手はいる。
私は、ボロボロになった心と体を立て直すことにした。
イザ!
変形性股関節症を治そう!
勇気を出し、やっと立ち上がろうとしたら、そこには落とし穴があった。
自分が勝手に頼りにしていた先生が、引退されていた……
介護の5年数ヶ月はあまりにも長かった。
全くあてがない。
しかし、紹介していただくと、万が一気に入らなくても断るのが難しい。
自力でやろう。
最初に結論をいいます。
これは無謀でありました……
流浪の民の序曲が始まります。
第一番目、
脳ドックでお世話になっている大学病院へ。
脳では大変有名だが、整形外科の腕はいかに……
主治医(心療内科)に紹介状を書いてもらう。
検査から第一番目の先生に会うのは、非常に簡単だった。全く混んでいない。
若い先生は感じが良く、「大丈夫、すぐよくなりますよ」とニッコリ。頼んでもいないのに、痛み止めを打ってくれた。
(????)
ハテナマークが浮かぶ。
私は仕事の時だけ頼み込み、渋る先生に泣かんばかりにすがりつき、ようやく打ってもらう痛み止めを、こんなにも安易に。
大丈夫か?
次回の検査の予約をし、部屋を出る。
壁に貼ってあるポスターの文字が目に飛び込んできた。
“セカンドオピニオンもとりましょう”
よし、これだ。次に行こう。
第二番目は、
クリニックだったが非常に混んでおり、外にも患者さんが溢れ、まるで行列のできるクリニック状態。
活気があり、患者さんをかきわけ控室に案内されると、有名な俳優さんがいた。
「トモ子ちゃん、よくここを探しましたね。この先生は名医だよ。トモ子ちゃんの手術も大成功ですよ。頑張ってね」
このコロナ禍に握手までしてくださる。
私は大いに盛り上がり、検査を受け、私の股関節のレントゲンの画像を見入っている先生の後ろに座る。
「なぜ、こんなに酷くなるまで放っておいたんですか?骨がグチャグチャですよ」
素人の私が見ても、それはわかる。
「母の自宅介護が続き、自分の時間が取れませんでした。申し訳ありません」と、謝ると
「どんなに痛かったでしょうね。よく我慢しましたね」
私は思わず先生の胸に飛び込み、号泣しそうになる。
「美空ひばりさんの画像によく似ている」と、呟く先生。
「あのー、ひばりさんのように歌が上手いとか言われるなら嬉しいですけど、股関節が似ていると言われても……」
「そりゃそうだよね」
それからも丁寧に検査してくださるが、微妙なところで話が食い違う。
「あのー、先生はご自分で執刀されないんですか?」
「しないよ。前は股関節もやっていたけど、今は脊髄が専門」
ガーン!
(それじゃ駄目じゃん)
「先生、歌にも上手、下手があるでしょ。私は手術の上手な方にしてもらいたい」と、頑張って笑う。
「ウン、もっともだ。元都知事の名前は何だっけ?」
「○○さんですか?」
「そうそう。あの人を執刀した人が、素晴らしく上手かった。その人に連絡しますよ。他にも2~3当たってみるけど、あなたも探してみてね」
この時点で、私の事務所に病院の知り合いを訊いてみる。
赤坂のクリニックを紹介され、これが三番目。
その先生は偶然に、昔私の家の近くに住んでいて、母の主治医だった方。
この先生はもう執刀はされない。
「回り道しましたね。僕が名医を紹介してあげるから」
この先生は、昔ブルドッグを沢山飼っており、私は「ブルドッグ先生」と呼んでいた。
この先生のおかげで、お待たせしました。
やっと名医のご登場!