晩年のアラカンさんは、過剰サービスと思えるほど、どんな番組にも気軽に出演していた。
テレビのコントの中で、あの栄光の鞍馬天狗の扮装で登場し、栄光の時代を知る私などには見るに忍びない芝居を平気で演じていた。
もっとも、ご当人は結構楽しそうではあったのだが……下手な切られ役がバーッと駆け寄り、勝手にワーッと死んで、アラカンはヨロヨロと仁王立ち。
あれはお正月の特別番組の時だった。
若い売れっ子スターのために、散々待たされ、アラカンさんの出番が深夜になってしまった。老人のアラカンさんは疲労と眠気のために、何度撮り直しても口上がつっかえてNGの連続。若いスタッフは舌打ちし、あくびを咬み殺す歌手もいた。
そんな中でも、アラカンさんは「ハイ、ハイ」と返事をし、ディレクターの指示に従って撮り直しを繰り返した。
(あなたたち、嵐寛寿郎を知らないの!)
私は思わず叫び出したい気持ちだった。
たまりかねた若いスタッフが、カンニングペーパーに大きな字で台詞を書いて前にかざし
「これを読んでください」
という。
しかし、アラカンさんは大きく手を振って断った。
「ワテは天狗だす。ウソはできまへん」
これが生涯を通じた、アラカンさんの生き方だった。
小細工をせず、一心不乱で大真面目。
そして飄々としてユーモアに満ちた、そんな人だった。
バラエティ番組の撮影中、当時売れっ子の三人娘、山口百恵・桜田淳子・森昌子が歌っていた。
アラカンさんの眼はキラキラ輝き出し
「可愛いな、可愛いな、ワテのこと好きやと言ったらどないしょう。どの娘にしょ」
おじいさんのことなど全く眼に入っていないのに、アラカンさんは勝手にソワソワしている。
久子さんも私も吹き出した。男ってもう。
こんなこともあった。
『遠くへ行きたい』というテレビ番組から、アラカンさんと杉作の二人旅をやってもらえないかと依頼があった。
さっそく、京都のアラカンさんに電話をすると、口がもつれて話しがしにくそうな様子だった。
自宅で一度倒れ、療養中とのこと。
「3ヶ月待ってほしい。きっと喋れるようになるから、時間をください」
久子さんの通訳つきで、そんな返事が返ってきた。
それから3ヶ月ほどしたある日、アラカンさんから電話があった。
「トモちゃん。これくらい喋れるようになったけど、どうやろ。ワテの言ってること分かりますか。これでテレビに出してもらえるやろか。はよ、出たいねん」
電話口でじりじりしている様子が目に見えるようだった。
これは映画ではない。
旅番組なのに……
「まだ足元が少しおぼつかないんです」
久子さんが、そっとささやくようにおっしゃった。
これが、アラカンさんとの最後の会話だった。
今となっては"二人旅"が実現しなかったことが残念でたまらない。
役者って、そんなに仕事がしたいものかしら……
生涯現役、そんな役者の業(ごう)に、アラカンさんも憑りつかれたようだ。