セットには私とスタッフのみ。助監督さんが

「トモ子ちゃん、これ見てや」

長い筒をかかげる。アラカンさんは、顔が長かった。
台本を丸めたもの、それが私の目線だ。私もプロだから、それを見ながら

「オイラはみなし子だ。親方さんにいじめられ、どこにもいくあてがないんだよ。天狗の小父ちゃん、オイラを連れていってくれ」

と、泣いてかき口説く。演じろ、って言われりゃ演じますが、どうにも私の中では盛り上がらない。まるで、パッチワークのようなものを上手に繋ぎ合わせ、ハイッ、出来上がり。何だかナー。
そんな次第で、一緒に演技をしながら、2人の接点は少なかった。

もっとも、そんな私にも立ち回りのシーンでの大スターの印象は強烈に残っている。
その剣さばき、足の運びの華麗なこと……まるで舞うように、からみをなぎ倒してゆく。
殺陣(たて)の名人と言われる人達の立ち回りを、これまで何回も目の当たりにしてきたが、典雅とでも表現すればいいのか、とにかく美しさではアラカンさんが最高だった。

そんなアラカンさんをお目当てに、スタジオには黒い羽織を着た粋筋の女性達が見学に来ていた。
彼女達はアラカンさんの一挙手一投足に目を凝らし、熱い眼差しを注いでいる。が、当のアラカンさんは一顧だにしない。鞍馬天狗は口をへの字に結んで、まるでそっけない。
ちょっと挨拶くらいしてあげたらいいのに……と、幼い私でさえ気を揉む始末だった。
もっとも、そんなアラカンさんが粋筋の女性達には、またたまらなく魅力的であったらしい。なかには天狗の紋を染め抜いた黒羽織を着ている女性もいた。

ロケでは、道端に長い長いレールが敷かれ、移動車に据えられたカメラが回る。
鞍馬天狗が全力疾走しながら、左右から飛び出してくる剣客をなぎ倒してゆく。カメラは猛烈にスピードバックする。後方にも、新たな追手の姿が見える。

抜身を引っ提げた鞍馬天狗が「杉作!」と叫ぶ。
悪者に横抱きにされた杉作の私が叫ぶ。「おじちゃーん、天狗のおじちゃーん」

映画館では、大体この辺りで一斉に拍手が沸き起こったものだった。

こんなシーンの撮影中、子ども心にも驚いたのは、疾走しながらチャンバラをやっているのに、アラカンさんの着流しの着物の裾が少しも乱れないことだった。試しに浴衣でも着て全力疾走し、棒を振り回し、仮想の敵でも切り捨ててごらんなさい。あなたはあられもないお姿になることうけあい。

それは昔、歌舞伎で女形の修行をされたからだと、誰かに聞かされたことがある。
あの長い顔で女形は想像しにくいが……無意識に着物の裾をさばいていたらしい。

それでも不思議だった私は、衣裳部屋でアラカンさんの着物の裾を調べたことがある。

「トモ子ちゃん、何してんの?」

衣裳部さんに声をかけられた。

「あのね、あんまり裾が乱れないから、なんか重しが入っているかナと思って」

「そんなことしたら痛うて走れんわ」

やっぱりアラカンさんすごい。

『御用盗異変』が大好評だったので、続いて『疾風!鞍馬天狗』(1956年公開)にも出演することになった。

これがアラカンさん最後の“鞍馬天狗”、私が36代目最後の“杉作”ということになった。

撮影が終わった後、「ご苦労さま!」と和紙の箱に入った綺麗な干菓子が届き、子ども心にも「粋だなー」と感嘆したものである。でも、本当はお人形さんの方が嬉しかったのに。

2人の心はすれ違ったままだった。
それから私達は劇的な再会をし、家族同様のお付き合いが始まる。

これは次回のお楽しみに。