6月10日、成城ホールでのコンサートは、チケットは完売、満員のお客様。そしてライト、拍手を浴び、夢のような時間でした!

緞帳が上がり、マスク姿の顔々、私はどんなにこの日を待ちかねていたか……胸がいっぱいになりました。

開演前、影マイクでご挨拶をしたら、拍手が湧きました。
こんなこと初めて!
お客様も待っていてくださったのかしら?

第一幕は『お母さん、覚えていますか?』の歌に始まり、母が昨年の10月4日に亡くなったことのご報告。
100歳で逝った最期の日まで自宅介護できたことの幸せなど、母との想い出を語り、初めての経験である通夜、告別式の珍騒動。
ご住職との戒名の値段交渉、葬儀屋さんに火葬場で焼却炉の種類を訊かれた私が、
「焼き方にもウェルダン、ミディアム、レアってあるんですか?」
の勘違い話に大爆笑。ちっとも湿っぽくならないで良かったです。
『愛燦燦』を歌い、告別式の日、棺の中で真っ白な胡蝶蘭をまとった母の姿はウェディングドレスの花嫁さんのよう。やっと父のもとへ母をお還しすることができた。
大好きな幸せ色の空に飛び立って行った母。
第一幕の最後は『いのちの歌』。
途中でこみ上げるものがあったけど無事終了。

第二幕は、二人の男性コーラスを交えて『慕情』『愛の讃歌』、そして成城ホールでの私のコンサートに最後まで出演してくださった永六輔さんの歌『遠くへ行きたい』『上を向いて歩こう』『見上げてごらん、夜の星を』。
お客様もそれぞれ、ご自分の胸の中にある永さんを偲んでくださったと思います。

次は、男性コーラスのおひとり、トップテナーの松川義昭さん。
静かに語りだしました。

「今から40年以上前に、ウクライナに1ヶ月ほど行きました。最近、テレビ・新聞に載っているキーウ、ハルネ、オデッサやヘルソン。そういう街を回ったのですが、それはそれは静かな佇まいの東ヨーロッパ風の建物が並んでいて、綺麗な所でした。
テレビなどで我々が行った街が映されて、何だかもう胸が張り裂けそうになった。
なるべく早く、いや一刻も早く戦争が終わって、ウクライナの人達に平和な日が来るのを祈っています。
ウクライナの歌を一曲お聴きください、“チェルムシーナの花”という歌です」

美しい歌声で、ウクライナ語、日本語で歌われました。

その後、私がポーランドの歌で『パルチザン』。

今日は帰れない 森へゆくんだ
窓辺で僕を見送らないで
君のまなざしが闇をおいかけ
涙にぬれるのを みたくないから

もしも春まで帰らなければ
麦の畑に種をまく時
僕の骨だと思っておくれ
麦の穂になって帰った僕を
胸に抱きしめて むかえておくれ

お客様の心にも、私達ふたりの願いが、充分に伝わったと思う。
声高に叫ぶより歌の力って強い、と改めて確信する。

サテ、次は?
いつもは次回の開催予定日をご案内できるのですが、今はコロナ禍でもあり、未定です。

やはり私は、舞台に立つために生きてきたのだと思います。