テレビの反響が大きく、シュンちゃんは一躍人気者になった。
講演の依頼もあり、色々と忙しく活躍していた。

1998年も押し迫ったクリスマス・イヴの前日のことだった。
コーチから悲痛な声が受話器から飛び込んできた。

「シュンの褥瘡(じょくそう。床ずれのこと)が酷くて、手術しなければならないらしいのよ」

「だって昨日まであんなに元気だったのに」と、私。

「そうなのよ。でも急に震えがきて、熱も40度を超えているの。すぐに入院させるわ」

あんなに楽しそうで輝いて見えていたシュンちゃんが何故急に。
そしてその原因の一端は、私にもあると思う。
あの日本選手権での栄光の日々はたった10ヶ月前のことだったのに。

一体何があったのだろう。

考えてみれば、不思議な縁だ。私もここまで入れ込むとは思っていなかった。
何か世間に役立つことをやってみたい……それからシュンちゃんの人柄。そして何よりも周囲の人達のあたたかい熱意。色々なものが私を突き動かしたのだろう。

前述したように、長沢俊一さんと私は、幕張メッセで行われた車椅子ダンス選手権大会の1ケ月前からコンビを組んで特訓を受けた仲だ。そんな2人がまさか優勝するなんて夢にも思わない出来事だった。

日本テレビの報道局でも「エッ、優勝?」と一時歓声があがったそうだ。誰も期待をしてなかったのだ。「ニュース・プラス1」でその模様が放送されると、シュンちゃん家の電話は携帯までが2時間以上も鳴り続け、その応対にてんてこ舞いだったとか。
初舞台で優勝。そして観客の拍手とスポットライトの閃光を味わったシュンちゃん。
彼の生き方は、私の知らないところで徐々に変化していたようだ。
障がい者用自動車販売の仕事を辞め、車椅子の選手になっていた。私は全く知らないのに。

それだけ張り切っていたのに、突然入院するなんて……
私は大森の東京労災病院へ駆けつけた。
手術から10日ほど経っており、シュンちゃんはかなり痩せていた。

「車椅子のベテランなのに、どうして褥瘡(じょくそう)なんか作っちゃったのよ」と、きついことを言ってしまった。

「体に自信が出来て、ちょっと油断しちゃいました。でも、今日は熱も下がりました」

と、思いの外元気そうな様子だった。
褥瘡(じょくそう)とは ― 床ずれのことだが、シュンちゃんの場合は深刻だ。
長時間車椅子によって圧迫を受けると、そこに壊疽(えそ)が生じる。酷くなれば手術をしなければならない。お尻にできた褥瘡(じょくそう)をえぐり取り、内股の肉で埋め、足の皮膚や筋肉を釣り上げてお尻をカバーするとのこと。聞くだけでも恐ろしい……

「僕は痛みを感じないんだけど、体が相当に痛がっているらしく、痙攣(けいれん)が止まらないんですよ」

普段はピクリともしない足が、布団の中でうごめく。足が身をよじって痛みを訴えているのだという。

「また来るわね。焦らないで」と帰りかけると、シュンちゃんは下まで送っていく、と言う。

「大丈夫よ。ひとりで帰れるから」

「駄目ですよ。トモ子さんは方向音痴だから、どこへ行くかわからないもの」

ベッドから車椅子に移る彼の手が、細くて痛々しい。
全館禁煙の病院から駐車場に降りると、外はもう真っ暗闇。シュンちゃんは煙を美味しそうにフーッと一服しながら

「沖縄の海、綺麗だったなー。深く潜れば潜るほど、海の青さが透明度を増して、ゆりかごに揺られているようだった。トモ子さんたら、大きなナマコを僕に掴ましたでしょ。僕、大嫌いなのに。海の中でもトモ子さんはヤンチャなんだから……」

車椅子にポツリと座っているシュンちゃんを置いて帰るのは、つらい。
振り返ると、暗闇にシュンちゃんの煙草の光が小さく灯っている。

(治ったら、また海へ行ってお魚になろうね)と、心の中で呟く。

1回目の手術は上手くいかなかったらしくて、近々2回目の手術が行われるという。入院からもう3ヶ月経った。

シュンちゃん、あなたが元気になって、また踊りたくなったら、私はいつでもお相手をしますよ。今度はもっとゆっくりやりましょうね。
シュンちゃん、あなたが

「トモ子さん、シャル・ウィ・ダンス?」と、声をかけてくれるのを、私は待っています。