初めてイギリスに来たシュンちゃんのために、ロンドン観光へ出かける。
ビッグベン、ウェストミンスター寺院、ロンドン塔など、どこを歩いていても、ちょっと段差がある所で立ち止まると、必ず誰かが来てヒョイと車椅子を持ち上げてくれる。
そのタイミングの良いことといったら!風のように軽やかで「サンキュー」と言う間もないほど。日本ではこんな風にはいかない。

シュンちゃんのたっての希望で、バッキンガム宮殿の前へ行ってみる。
ヴィクトリア女王記念碑がある広場は、観光客で賑わっている。

緑に囲まれた美しい宮殿に見とれていると

「トモ子さん、僕と踊ってください」

シュンちゃんの声がする。

「えっ、ここで?」

かなり恥ずかしい。
衛兵もいるし、観光客もいる。叱られないかしら……

「お願いします!」

彼の片手は差し出されている……

覚悟を決めて、ワルツを踊る。
外で踊るなんて初めての経験だが、心が解放されてとても良い気分。
のびのびと自由に踊ることができて、非常に楽しかった。
観光客もとても優しい眼差しで見守ってくれる。
衛兵は気付かないふりでシレッと立っている。

帰りの飛行機の中でシュンちゃんが呟いた。

「バッキンガム宮殿の前で、トモ子さんに車椅子をまわして貰っている時、僕ずっと空を見ていました。
青い空に体が吸い込まれていくようで、僕の足で踊っていました。
昔、歩いていた時の感覚が蘇えったんです。小さい時からのことが走馬燈のように浮かんで……

目の前のトモ子さんがとても美しく見えました。
生きていて良かった。
踊ることが楽しいって、初めてわかりました」

私はふと思い出した。
いつかシュンちゃんから、ある青年の悲しい物語を聞いたっけ。

下半身が麻痺した人間は、もう麻痺が治らないと分かった時、病院のベッドで死を考える。
萎えた体でベッドから這いずり降り、芋虫のように階段を這って屋上を目指す。医者も看護師さんも止めないで、ただ影から見守っている。汗まみれになり何時間もかかって、やっと屋上に辿り着き、重い扉を開けた時、柵を越えられない自分に気づく。

「もう死ぬこともできない。泣いて泣いて……やっと諦めて、そこから初めて生きることを考えるんです」

淡々と話してくれたが、あの青年はシュンちゃんその人だったに違いない。
20代で死ぬこともできない自分に気付く。
「重い言葉」に打ちのめされる。