ストーク・マンデビルという所は、車椅子スポーツ発祥の地なんだとか。
1969年、ロンウィン・グッドマン博士が障がい者のリハビリテーションにスポーツが大変良いことに気づき、この地に病院とスポーツ施設を建てたのが、そもそもの始まり。

施設のオープニングには、エリザベス女王陛下もお越しになったそうだ。

広いスペースの中には、テニスコート、射撃場、プール、アスレチック、トラックなどなどがあり、障がい者にとってはあらゆる車椅子スポーツに対応できるようになっている。
大分県の車椅子マラソンを始めた「太陽の家」は、ここをモデルとして造ったと聞いている。

パラリンピックの父として有名な中村裕先生も50年以上前ここで勉強され、日本で初めてパラリンピックを開催されたのだ。

今回の参加国は28、出場者は4000人ということで、私の想像を遥かに超えるビッグ・イベントだ。車椅子の人々にとっては、パラリンピックより大きな大会なのだ。

 

選手村に入ると、職員も選手も、みな車椅子。

「わー、ここでは僕、全然目立たないや」

目立ちたがり屋のシュンちゃん、いささかがっかりしている。立って歩いている私の方が、ここでは浮いてしまう。妙な光景だ。

IDカードをもらって、選手登録をする。
大会期間中、選手村に入れるのは、コーチと選手のみ。食堂に行ってみると、幕張メッセで逢ったドイツ、オランダの選手達の顔も見える。シュンちゃんは、日本代表のツイン・バスケットボールの選手達とは友達らしい。

 

あちこちで会話の輪が広がっているのに、私は自分の座る椅子を求めてウロウロするばかり。この施設は立っている人にはあまり配慮がないみたい。

「やい、椅子はどこですかい?」と、私。

「そのへんに転がってるんじゃない?」と、選手。

「ハイハイ、自分のことは自分でするのね」

私に用意された選手の部屋は、病院の中にある5人部屋。ベルギー、オランダ、ポーランド、日本と割り振られ、ベッドが5つ並んでいるだけで、間仕切りもない殺風景な病室だった。

「まさかー!本当にここで寝るんですか?」

健常者のわたしはホテルで泊まれるとばかり思っていた。
日本テレビのニュース「ニュース・プラス1」のスタッフが今回も撮影に来ていたが、「それではまた明日」と、私ひとりを病室に残して引き上げていった。
ヤレヤレ、ドッキリカメラか!

クロゼットなどという優雅なものはどこにも見当たらない。
衣装を詰めたトランクをベッドの下に押し込んでいると、男性病棟のシュンちゃん颯爽とご登場。

「トモ子さん、僕のおかげで貴重な体験ができたでしょ。芸能人が選手村に泊まれるなんて、初めてじゃないですか?」

と、やけに嬉しそうにニヤニヤしている。
しかし実際に、お風呂もトイレも、私にとっては使用するのが難しい。
トイレには、体が固定できない人のために天井から吊り輪がぶら下がっている。手すりが伸び、背後には体がずれないようガードするために、座椅子の上半分のようなものが取り付けてある。でも、私にはかえって邪魔になる。
洗面台も低くて小柄な私でも鏡を見るにはしゃがまなければならない。
シャワーも車椅子ごと入るようになっているので、私には使えない。

なんなんだこれは……ブチブチ文句を言いながらふと、気がついた。

私達健常者のために作られた今の世の中は、車椅子の障がい者にとっては、どんなに住みにくいことだろう。たった一日で音を上げた自分が恥ずかしくなる。

政治家の皆様、見学だけではなく、ぜひご一泊を。