(後ろ左から)梅木さん、合田さん、インクランさん/(手前左から)マーちゃん、私
朝、9時になると
ピーンポーン
「おはようございます!」
看護師さんかヘルパーさんの明るい声が飛び込んでくる。
それを合図に一日がクルクルまわりだした。その声も母の死からピタッとなくなった。
こんなに悲しいものかしら。
特に長くお世話になった看護師さん2人、ヘルパーさん、マーちゃん、私。
5人でお食事をした。
みなさん、相変わらず元気はつらつ、気持ちがいい。食欲も旺盛。お皿の上がすぐに空になる。この頃ショボショボひとりで食事をしていた私は圧倒される。
若いっていいなー。
今ではみんな新しい介護者を抱え、奮闘している。
子ども食堂をやっている人もいる。ディナーだったのに、「この後、まだ仕事あるんですョー」と言った人もいる。
後ろ髪ばかり引かれている私も、彼女たちを見習わなければ……
「今日は、お母様のお好きなものばかり、お出ししますョ」
母とは何十年も通ったお店なので、有難い。
母にお花まで用意してくれた。
「お母様は、最後まで恥じらいがあって、本当にレディでしたね」
「お母様って、可愛らしかったですね」
「お母様のこと、忘れません」
私の方こそ、いつも優しく介護してくださったあなた方のこと、忘れません。
「またね」と、お別れした。
母の遺影の前でご報告。
「今日はママの好きなものばかり出てきましたよ。ママ、参加できなくて残念でしたね」
隣でマーちゃん、「アラ、ママいたよ」と、おりんをチーン。
母の生前、筑波大学の名誉教授、認知症専門医の朝田隆先生とラジオで対談した。
母の認知症は予兆もなく、突然95歳で発症した。
何度も同じ話を繰り返したりちぐはぐな服装をしたりなどなかったので、心の準備が全然できなかったことをお話しすると、
「人によって出方が違います。人間は予備能力を保つことが出来ますが、頑張って頑張って最後にガタガタッとくることがあります。それまで一生懸命自分を支えてこられたんでしょうね」
ママ、頑張ってくれていたのね。
母が95歳、正気のまま亡くなっていたら、私は生涯、立ち直れなかったでしょう。
ママ、私に介護させてくれて、ありがとう。