10月13日、通夜の前日、長野県駒ケ根市の文化会館大ホールで講演会が開かれた。
沢山のお客様の前でお話しするなど、1年半ぶりだ。

普段なら嬉しくてたまらないはずなのに、母が亡くなったのはまだ9日前のことだ。
通夜も告別式も済ませていない。心が宙を浮いているみたいで、フワフワ足が地面に着いていない。

新宿駅の雑踏に驚きながらも、あずさ号に乗り、茅野駅へ約2時間。
久しぶりの窓からの景色も全く目に入らず、90分の講演を無事やり遂げることで頭がいっぱいだった。

講演タイトルは「母とわたしの旅路」。

お客様の前でまず母の亡くなったことをご報告し、5年5ヶ月に及ぶ自宅での介護生活、そして70年余り母と二人三脚で歩んできた芸能生活の話を予定していた。

どこを切り取ってみても母の顔が鮮烈に浮かんでくる。
まだ生々しすぎる。
90分間、ひとりで乗り越えることが出来るのだろうか……

車で1時間、心が定まらないまま、あっという間にホールに到着してしまった。
やるしかない。頑張れ!

幕開き5分前、舞台袖でスタンバイしていると、客席のザワザワが聞こえない。
私はあのざわめきの音が大好きなのに……

「お客様、入ってないんですか?」と、私。

「イイエ、満員ですョ。今はみなさんマスクしていますから」と、会場スタッフ。

「ナァーンダ」初めての経験だ。

アナウンサーの紹介後、吹っ切れたように舞台に飛び出してゆく!
目の前にワーッと客席が大きく広がる。
マスクはしているが、お客様の顔が見える。
ワーッ嬉しい!
拍手に包まれ、久しぶりに胸の奥から深い呼吸ができた。

客席の奥の扉がまだ2つ開いていて、鬱蒼とした木々の広がりが垣間見える。
ステージに立ち、そうそう、この感じ。
私は舞台に上がるために生きてきたんだった!

それからは、心配していたことが嘘のように順調に進んだ。
もしものことがあった場合に、と主治医に処方してもらった魔法のお守りをポッケに忍ばせていたことも、全く忘れ去っていた。
3歳から舞台に立っているんですもの。伊達じゃない。

日比谷公会堂で初舞台に立った時、センターがわからず客席でハンカチを振る母のところまで懸命に走ったっけ。

「ママはここにいますョ」

その母と私の関係は、生涯変わらなかったと思う。
母と共に歩んできた道のりをお客様に話すことができた。
ママ、あなたのトモ子ちゃんはちゃんとできましたよ。
褒めてください。

後日、信濃毎日新聞の掲載記事で満面の笑みだったのは、そんな心模様だったのかも知れません。
でも最後の最後、

「今日は素敵なお客様に出逢い、あたたかい眼差しで私の話しを聞いてくださったのよ、と伝えたいのに、伝える母はもういません」

と言った時、涙がぐっとこみあげてきてしまいました。
これはプロとして、失敗。