最後は帯状疱疹による高熱、誤嚥性肺炎などなど、かなり苦しんだ母の遺影の前で

 

「ママ、少しは楽になりましたか?」

「トモ子ちゃんは忙しくて忙しくて大変よ。代わってほしいくらい」

 

と、思わず声を出す。

慣れぬ事とはいえ、次から次へと波が押し寄せてくる。

このコロナ禍の中で通夜・告別式を出すこともご迷惑な話だけど「お別れはちゃんとやってね」とは母とのお約束。

親しいお友達が挨拶もなく目の前から消え去ってしまったことが寂しかったのでしょう。

 

亡くなる前の晩、死の恐怖を察知したかのように目をパッチリ開けて閉じない母。

 

「怖いの?」と聞くと、コックリうなずく。

 

介護用ベッドに潜り込むと、母はしっかり抱きついてきた。ぬくもりを確かめてはいたけれど、気が付いた時、頬はもう冷たくて……脈はない。時計を見ると、朝6時過ぎ。

 

母の顔は透き通るように美しく、とても若く見えた。

 

看護師さんに連絡を取り、訪問医に知らせる。

訪問医、9時頃到着。

 

「10月4日、午前9時8分、お亡くなりになりました。死因は老衰です」

 

夢の中のように声が遠く聞こえる。

 

自宅介護、約5年と5ヶ月。

自宅で看取れて良かった。

 

静寂はそこまで……

 

葬儀屋さん達が飛び込んできてからは、怒涛の日々が始まる。

看護師さん、マーちゃん、私。母はパジャマからお気に入りのスーツに着替えさせてあったので、すぐにドライアイスの処置が施される。母の行きつけの美容師さんが来て、ヘアセット。

私が母のメイクを、心を込めて、する。

 

「トモ子ちゃん、アイラインは薄めにね」と、美容師さん。

 

私のようにバッチリラインをひくと、目が開いているように見えるんですって。

なるほどなるほど。

 

まず会場の選択。

色々候補はあったが、松島家の墓のある寺に決める。

4日に亡くなったのに通夜まで10日もあいてしまったのは、

 

①お寺で大きな催事があったこと

②友引で火葬場が休み

③私の仕事が入っていたこと

 

頭がボーッとして、うっかり大事な仕事の時に通夜を入れてしまった。

事務所の人に

 

「トモ子さん、その日仕事ですョ。キャンセルするんですか!」と、叱られてしまった。

 

すみません。

 

芸能界に入ったら親の死に目にも逢えない、と何度も聞いていたのにね。

マー、母の死んだ日ですもの。勘弁してください。

 

第1日目はこれで終了。

母の体はまだベッドで休んでいるので、亡くなった気がしない。

簡単な祭壇を作っていただき、お灯明(とうみょう)を絶やさないようにする。お線香の香りは慣れないとかなりきつい。ママ、好きだったかしら。

 

第2日目

 

お寺でご住職と、主に戒名の打ち合わせ。葬儀屋さんも同行してくれる。

芸能界を二人三脚で歩んできたことなどをお話しする。

ご住職は、墓参りに訪れていた私達親子のことを「よく見かけましたよ」と仰った。

 

戒名の値段表メニューのようなものを見せられるが、まず相場がわからない。

頼みの綱の葬儀屋さんは、そっと席を外して、いない。ウーン。どうやら時数の多い方が高いようだ。

 

「このくらいではいかがでしょうか?」と、私。

 

「ウン?」と、ご住職。

 

「じゃ、これ」払える精一杯のところを指さすと、

 

「よろしいでしょう」とご住職。

 

本堂を見せていただき、お暇する。

外からは何度も拝観していたが、とても美しく立派だ。

 

(ママ、ここでいいわね。)

 

どっと疲れが出る。

値段の交渉など、生まれて初めての経験だ。戒名は通夜の日にいただけるそうだ。

 

第3日目。

 

葬儀の詳細打ち合わせ。

美しいパンフレットの中から、祭壇を選ぶ。

まず目に飛び込んできたのが、3千万円の祭壇!

度肝を抜かれたが、慌てず騒がず沢山の中から選ぶ。

 

とても気に入ったのが、ひとつ見つかった。

紫と白とブルーの花で囲まれた、美しいもの。

ママのイメージカラーは紫ですものね。霊柩車も米国車・日本車と色々あるが、母の好きだったTOYOTAのセンチュリーにする。屋根にキンキラのお宮の付いていないもの。

 

葬儀屋さんから、火葬場の火葬炉の種類はどうするか、と聞かれる。

 

ナニ?炉の種類?焼き方に差があるの?レア、ミディアム、ウェルダン??

 

それは私の勘違い。

個室タイプの火葬炉の部屋か、数人で使う火葬炉の部屋か、ということだそうだ。

 

それから骨壺は大理石か青磁か白瀬戸か…...覆い布もいるそうだ。

わあー。死ぬって大変だなー。

 

棺も選ぶ。ある方は、手彫りで800万円と言われたそうな。

 

遺影の写真は、元々母のお気に入りのもの。

認知症を発症してからのものだ。

それに額。

何通りも持ってきてくれたが、母らしい白木の優しいフォルムに決めた。

 

会葬御礼の品物を選び、御礼状の文章の確認。

「私が書きたい」と言ったが、却下。なまじ凝らない方が良いそうだ。

 

会葬者の会食は、このご時世からお寺さんから固辞された。

通夜・告別式をあげさせていただけるだけで母は幸せだ。お寺様が召し上がるお食事は用意した。

 

アーー、何事も気配り・配慮の出来る母が、いないのは痛い。

 

各々の場所で、みな助けてくれるが、最後はひとりで決めなければ……

 

わあーママ、どうしたらいいの?と心の中で叫んでいる。

 

やっぱりママの口癖「トモ子ちゃんの立派なお葬式を出してから、私は死にます」

 

その方が私は良かったんだけどな……