この頃心の中が落ち着かない。何やら不穏な日々を送っている。オリンピック、パラリンピックを見ると感動に涙し、コロナで入院も出来ない方々には同情し、災害には胸が痛む。一体どうしたらいいのか。心の持ちようを教えてほしい。

コロナで芸能界の仕事ぶりも随分変わった。
先日おこなったオンライン講演は私にとって初めての体験だった。持ち時間は90分だ。芸歴だけは大ベテランなのだが、新しいことは苦手。結構気が弱いのだ。

 

お呼びいただいたのは、日の出医療福祉グループ。兵庫県加古川市に本部を置き、医療・介護・保育サービスで地域に貢献している。現在、兵庫県・大阪府・埼玉県・東京都・神奈川県など、162ヶ所で事業を展開しているかなり大きなグループだ。

私のお話しするテーマは「老老介護の幸せ」。

舞台の上に立ち、沢山のお客様の前でお話しするのは慣れているが、今回は勝手が違う。ラジオ用の小スタジオにて、通常マイクのある位置にはノートPC。モニターには先方が本番前の準備をしている光景が映っている。私は画面右上にワイプで登場するのだそうだ。マイク・イヤーモニターのチェック。副調整室にはスタッフがいるが、スタジオ内に私はひとりぽっちで座っている。ラジオは慣れているが、必ずアシスタントかディレクターなど、そばにうなずく人がいるのだが……誰もいないのだ。

本番が始まると、司会の方(加古川にいる)のご紹介で、私は喋りだした。

モニターには確かに10人程の方が映っているが、机を挟んで私に対して横向きに座っている。正面で私を見てくださるといいのだが……なんともやりにくい。

「エイヤッ!」

私は気合を入れて喋りだした。

途中、ひとりで話すのが途方もなく虚しくなったが、慣れというのは恐ろしいもので、5年と6~7ヶ月前からの、介護の苦労が走馬灯のように浮かび、何も気にならなくなった。モニター越しのお客様の反応もわかるようになり、最後は質疑応答。的確なご質問もいただき「感動した」という嬉しい言葉もあった。オンラインとやらにもちょっぴり自信が持てそう。

母はこの間の高熱と帯状疱疹とでかなり弱っているようだ。その上異常なこの暑さ。昨年訪問医から余命宣告を受け、覚悟はできているはずなのに母は頑張ってくれていて有り難い。
どんなに立派な施設に預けていても、今のコロナ禍では面会もままらない。我が家は家に帰れば、もうそこに母が眠っている。自宅介護は大変な苦労を必要とするが、現在は本当に幸せ。母の調子の良い時は、くすぐったり抱きしめたりしている。食事も三食摂り、時々ワインも嗜んでくれているが、ずいぶん食が細くなって心配。

「今は入院は望めませんので、食べられなくなったらご自宅で点滴をしましょう」

訪問医に告げられる。最期の日が刻々と近づいているのだろうか……神様は私に充分な時間を与えてくださったのに、まだお別れの準備ができていない。

私は父の死を知らずに育ったが、劇作家の井上ひさしさんの長女・井上都さんもお父様を看取っていない。都さんの文章を見つけたので、ここにお借りする。

--引用ココカラ---

"今は日本中が、子が親を看取ること、それがどんなに幸せなことか身に沁みて感じていることだろうと思う。
ちゃんと別れられること、逆縁などふりかからず、順番通りに、そして、この世の最後の時間をギリギリのところまで共有してあげられること。
願って叶うものではないとわかっていても、願わずにはいられない。
(中略)
人生に後悔はつきもの。後悔するな。後悔しないように生きろと、私は誰にも言えない。でも、後悔しようにも出来ないそのときがくることだけは、心に打ちつけた。"

--引用以上---

私はベッドの脇で母の手をにぎり、ちゃんと「ありがとうございました」と言うことができるだろうか。

ママは今のところ、機嫌よくムニュムニュ喋っている。

「おじいちゃま、おばあちゃまに逢ってきました。とてもお元気でした」

あの世とこの世を自由に行き来しているらしい。

「うらやましいナ。私も今度連れてって」と、私。

「私ね、なんだか死なないような気がするの」と、ママ。

アレアレ、私もせいぜい長生きいたしましょう。