ブーゲンビリアの花びら(※ヘルパーの合田さん撮影)

 

母が息をしているか夜回りを2〜3回、時々こちらも寝ぼけているせいか、母の介護用ベッドの布団がペチャンコで、また逃走かと心臓が止まりそうになる。若いヘルパーさんが「お母様が見当たりません」と飛んで来たこともある。100歳ともなると母もあんなにペッタンコになってしまうのかな。あれじゃまるでノシイカだ。美しいと言われたこともあったのに……
 
ほどよきところで

 「ママ、おはようございます」 と、私。

ママ、ニッコリ。

「私、疲れて死にそうヨ」 ちょっと甘えて言ってみる。

「死んでもいいわよ」と、ママ。

「えっ、いいの?」

「天国を行ったり来たりしているから大丈夫よ」

なるほど、母は大好きな私の祖父・祖母、母の弟に好きな時に会いに行っているらしい。息せき切って、おじいちゃまがね、おじいちゃまがと話し込んでくるが「お元気そうでね、志奈枝って言ってくださって◯×▲※☆#…… 」あとはわからない。でも母の中ではたしかに会っているらしい。現在のトモ子ちゃん・マーちゃんとも会話するのだからあの世とこの世を行ったり来たり出来るなんて、なんとも羨ましい。認知症も良いこともあるのね。

母の病名がはっきりわかるのに、かなり時間がかかった。最初の訪問医は、1週間に1回来ては毎回同じ薬の処方、たったそれだけ。漢方薬の抑肝散という薬を朝昼晩、1袋ずつ。しかし、母の方は凶暴性がどんどん激しくなる一方。私もずいぶん母に殴られた。私には、母は激しい不安感に襲われているように見えるのだが……この先生の診断では駄目だ。ケアマネージャーに思い切って頼んだ。

「先生を変えてください」

日本ではなかなか言えない言葉だが、こちらも生死がかかっている。遠慮している場合ではない。認知症専門の先生に変わってもらった。おかげで出た診断結果が「レビー小体型認知症」だった。この診断をもとに、介護の区分が変更になった。

母は、「要介護1」から「要介護4」として、さらにサービスを受けられることになった。勇気を出して良かった。あのままでは大変なことになっただろう。

ふくろうクリニック、橋本先生の文章を引用させていただく。

--引用ココカラ--

レビー小体型認知症は「レビー小体」が神経細胞に溜まって様々な症状を引き起こす疾患です。アルツハイマー病、血管性認知症に次いで三番目に多い認知症といわれています。ちなみに「レビー小体」とは神経細胞の中にできる小さな塊のことで、α-シヌクレインというたんぱく質が異常蓄積したものです。臨床状は進行性の認知機能障害の他、

・認知機能の変動(本来眠気など出現しないような場面で急にボーッとして眠ってしまう。動きが止まる。寝言のようなことをつぶやき始めるといった症状)
・繰り返し出現する具体的な幻視、妄想
・パーキンソン症状
・睡眠時の異常行動(寝ている時動き回ったり叫んだりする)

さらには血圧変動やうつ症状など多彩で、出現する症状は患者さんにとって異なります。現状で完治を目指す根本的な治療法はありませんが患者さんやご家族が穏やかに毎日を過ごせることを目標として治療を行います。抗認知症薬の他、患者さんの症状に合わせ抗精神病薬や抗うつ薬、パーキンソン病治療薬などを適切に組み合わせて使用します。
また、薬物治療のみでなく、症状に合わせた生活環境の整備や介護サービスの導入も重要です。
志奈枝さんの場合、当クリニック初診時にはすでに物忘れ症状の出現から三年以上が経過しており、病状は比較的進行していました。「MMSE」という認知症を評価する三十点満点のテストの得点は十八点しかありませんでした。そしてもっとも問題だったのは物忘れではなく、幻視、被害妄想、そしてこれらを原因とした不穏でした。誰かが常についていないと危険なほどであり、トモ子さんも周囲の方も疲弊しきった状態でした。
治療は薬の調整を並行し、公的サービスの適切な導入を行い、トモ子さんの負担を減らす方向で進みました。半年後には嫌がっていたデイサービスにも通えるようになり、トモ子さんのコンサートを観に行くことが出来るほど改善しました。その後は波はあるものの比較的落ち着いた状態が続いています。トモ子さんが「レビー小体型認知症」という病気についてよく理解され正しい対応をしていただいたことも大きな理由でした。

--引用ココマデ--

「ふくろうクリニック 自由が丘」橋本昌也院長

(『老老介護の幸せ』より引用)

先生は本当によくやってくださった。でも病名がわかったからって病気が治るわけではない。適切なお薬を処方してくださっても母は「トモ子は私に毒を飲ませる」と吐き出す。先生との二人三脚は3年ちょっとかかったかしら……手のひらいっぱいにあったお薬が、今では朝昼晩1錠ずつ。もちろん先生とのお付き合いは続いている。

この頃母のベッドに潜り込むのが恒例になっている。

「ママ、何歳ですか?」と、私。

「65歳」母は自信満々です。

「そんなに若くないわよ」

「アラそう」不満顔。

「100歳ですヨ」と、私。

「ホオー、100歳って何歳?」