(※ヘルパーの合田さん撮影)

 

母の日にカーネーションが100本届いた。母に見せようと2階の部屋にカーネーションと花瓶を抱えて上がったら、途中4~5回休んだ。その重いこと重いこと!水を入れたらビクッとも動かない。
母の部屋が真っ赤になったような美しさ。何も知らないマーチャンが飛び込んできて「ワーオ!」と声を上げていた。

母の年にちなんで100本。何とお見事。母は、幸せ者ですね。

母が90代の時、その年の数だけ深紅の薔薇の花束が届いた。花屋さんが「重いですョ」と言ったのに、私がヒョイと両手で抱えようとしたら、あまりの重量に腰が抜けそうになった。あれはまるで横綱の優勝杯だ。

『百万本のバラ』というロシアの歌謡曲がある。日本語版でも有名なこの曲の歌詞には、切ない恋の逸話がある。女優に恋をした貧しい絵描きの男が、自宅を売り百万本のバラを買った、というものだ。現在とは異なるだろうが、30数年前のロシアでは、20~30本の花を手に入れるのにそれはそれは苦労した。値段もかなり高かったように思う。庶民は綺麗な花瓶に花を1本ずつ差して飾っていた。

百万本は大げさにしても、抱えきれないほどたくさんのバラを贈った彼の心を思うと、涙が出るほど愛おしい。贈られた彼女は、数年後そのことをまるで覚えていなかったそうだ。

恋はかくも悩ましい。

我が母も、100本のカーネーションを見ても、昔のような感動は表さない。

「きれい」

小さく呟く。
でも訪れる医療スタッフの方々が

「お母様おめでとうございます。豪華ですね。100本なんて初めて見ました。迫力が違います」

口々に褒めてくださるのでそのたびにニコニコ嬉しそう。
贈ってくださった方に感謝です。
しかし手入れする方は大変だ。毎日のように水を替える身にとっては、10本くらいずつ出し根本のヌルヌルを洗い、時には水切りをし、花瓶までヤカンで何往復も水を運ぶ。いただくだけでニッコリしている母が恨めしい。でも今まではみんな、母がやってくれていたのですものね。


今の私の仕事は3回の食事作り。料理の苦手な私は、豊富なレトルト食品に頼りきり。ハサミで封を切り、あとは電子レンジにおまかせ。でも夕飯だけは、小さな鉢に盛り、赤・緑・黄色の食材、目からも楽しんでもらえるよう心がけている。朝食・昼食にそれぞれ30分、夕飯は約1時間半、母のペースに合わせて……最初はイライラし、退屈なのでテレビなどつけ、観ながらやるとすぐバレ、ご機嫌が悪くなる。夕飯だけはベッドの横の椅子で摂ってもらうが、マーちゃんと私の二人がかりだ。相手に抱かれる意思がないので、石のように重い。二人ともいつまで出来るやら。マーちゃんの「ママに少しでも景色を変えてあげたい」という発案だ。お姫様抱っこなどというものは双方の愛の協力がなければ成り立たない。

私はこの頃自分のギックリ腰が心配だ。「ご自分の体を一番に考えてね」と言ってくだる方がいるが、介護はそれでは成り立たない。

やっと母を椅子に腰かけさせ、エプロンを付け、足にひざ掛けをかけ、テーブルをセッティングして、

「ハイ、ママ、お口開けて」と、私。


「誰が?」とママ、キョトン。

(私が口開けてどうするの!)と怒鳴ったりせず、いつも口角を上げてニッコリ。

「ハイ!召し上がれ」

私がムスッとしていると、「私達どこかへ連れて行かれちゃうの?」と不安がる。私を抱えて逃げ惑った戦争を思い出すのか、苦手だったショートステイの記憶が甦るのか……認知症の人は敏感に相手の心を読むように思う。

介護をしている方にエールを贈ります。
新聞でこんな記事を読みました。
歌手の高石ともやさんが、かつて全国都道府県対抗女子駅伝に出場した選手に贈った言葉だそうです。

「ここまで来るのに一生懸命頑張ってきた自分も、苦しんだ自分も、喜んだ自分も、全部知っているのはあなた自身だから。ここに来た自分を、人にほめてもらうんじゃなくて、自分でほめなさい。」

良い言葉でしょ。
え?ほめる言葉が見つからない?
じゃ、自分に言いましょう。

「アンタはエライ!」