母の部屋から看護師との笑い声が聞こえてくる。
「何お話しているの?」
仲間に入れてもらいたくて、顔をのぞかせてみると「わかりません」と看護師も笑顔で首を振っている。
私もこの頃コロナで開店休業状態なので、よく母の部屋でおしゃべりする。過去・現在・夢の話、全部ごったまぜで出てくるので、理解不能なのだが……以前の私だったら、「何言ってんの?」「全然わからない」と、声を荒げていたかも知れないけど、今は母のタイミングで笑い声をあげている。母は目をキラキラさせて嬉しそうに話し続ける。ありのままの母を受け入れる。決して逆らわずに。
コロナ禍の今、母に相談して解決してもらいたいことが、いっぱいある。母がわかってもわからなくても、私は一方的に一生懸命話すが、母は5分で飽きてしまう。でも母はこれらの事を、若い頃からたったひとりで、全部こなしていたのですものね。感謝に堪えない。
この頃私の自宅介護のことも人様に知られるようになってきた。
「おえらいですわね。よくおやりになりますこと。私も母を介護するのが夢でした」
と言う人がいる。
私、心の中で(アラ、お貸ししましょうか?)と言ってあげたくなる。夢は夢で大事にとっておきましょうね。
この間、タクシーの運転手さんが
「失礼ですが、松島トモ子さんですか?」と、尋ねてきた。
「ハイ、そうですョ」
たまたま、南青山の交差点に行く用があったのだが、(今はなくなってしまった)目印のビルディングの名前が出てこない。
「エート、エート、カッコイイ建築で、昔は若者の名所で……」
運転手さんも年配で、私の言いたいことはすぐわかったが、二人でエート、エート……悔しいったらありゃしない。そろそろボケだしましたかね?二人で笑い出したが
「あっ!帰ってカミさんに聞いてみます」
「アラ!奥さんお若いの?」
「イヤ、私の10歳上で80歳です。古いことはよく知ってますから」
「マーそうね」
80歳の方の記憶力に負けるのは、ちょっとなー。(´・_・`)
この運転手さん、自宅でお母様の介護をしているそうだ。施設は断固拒否、絶対納得してくれないそうだ。お互い慰め合い友達のような気分になってしまった。だって、運転手さん70歳、奥さん80歳、お母様93歳。そのうち奥さんの介護も必要になってきたりして……我が家よりもっと大変だろう。南青山三丁目交差点で止まった瞬間、二人同時に思い出した。
「アッ!ベルコモンズ!」
お互い喉につっかえたものがスッキリし「元気でね」と別れた。
介護している人はみんな、仲間だものね。
数年前、ジャンヌ・ボッセさんというカナダ人のシスターにお逢いした。65年前、20歳の時に日本に遣わされ、私が初めてお逢いした時は96歳だった。美しい微笑みと佇まいに「調布の宝物」と呼ばれていらした。良いお話しを沢山聞かせていただいたが、心に残っているのは、一日の終わりに「ありがとうで始まる手紙を書きましょう」だった。彼女はシスターだから毎晩寝る前に、神様にラブレターを書いているそうだ。
書き出しは"ありがとう"。
こう書いてしまったら、悪口や恨みごとは言えません。
「生徒さんとこんな話しをしました」
「久しぶりに昔の教え子から連絡がありました」
「何でもいいのですョ。感謝の言葉から始めるのも良いでしょう」
うーん。わかっているのです。時間のたっぷりある私ですから出来るのですが……
まず、ありがとうと書いちゃったら何も次が浮かばない。グチならいっぱい書けますけどね。やっぱり人間の出来が違う。
母の部屋へ行きピンクのほっぺたをつまんだら、大きな声で「いないないばー」だって。この親子ちょっと変。(^-^;)
ありがとうの手紙は当分おあずけです。