介護をなさっている方、こんな遊びはいかがです?

昔母から「少女パレアナ」という本をもらったことがある。アメリカの作家エレナ・ポーターの作品で、村岡花子さんが訳していた。

パレアナは孤児院で育った女の子だ。慰問袋の中からいつもお人形が出てくるのを願っていた。でも出てきたのは松葉杖……それからパレアナの遊びが始まる。彼女が考え出したのは「喜びの遊び」で“どんなことの中にも喜びを見つけなければならない”というゲームだ。

お人形の代わりに松葉杖……どうやって喜びを見つけたらいいのだろう。でもお題が難しければ難しいほど、遊びは冴えるものだ。そして、ついにパレアナは難題を克服する。

小さい時から私も、こんな遊びに慣れていた。芸能界は過酷な世界。無茶なことも理不尽なこともまかり通ることがある。それをグッと飲み込みニッコリ笑う。大人の世界で生き抜くため、松葉杖を人形に変えるようなゲームを、私もずっとやってきた。

でもライオン、そして立て続けにヒョウに咬まれて瀕死の重傷を負ったあの時ばかりは、当然のことながら喜びを見つけるのは難しかった。あっ!そういえば誰かに言ったっけ。あとであのヒョウを毛皮にして送ってね、って。誰も笑わなかったけれど。

「喜びの遊び」、介護でも使ってみましょうよ!

先日も、食事時というのに、何度声をかけても母は爆睡中。冗談で「死んじゃった!死んじゃった!」と叫んだら、母はパッチリお目々を開けて、満面の笑顔で「お待たせしました」……2人で大いに笑いましたョ(^-^)

私も3年ほど前の壮絶な介護の時は、ノートに怒り・憎しみを書きなぐったけど、今は母の微笑ましい言動ばかり。

介護の合間に、楽しいエピソードを書き留めてみるのはいかが?

大げさにいえば、今私は介護の重圧とコロナ禍における仕事の激減にあえいでいる、コロナばかりはみな平等に先が見えない。私の友人も、生きている意味が見つからないと呟く。

雑誌を読んでいたら、ピアニストの矢野顕子さんについての言葉が飛び込んできた。ちょっと長いけど引用させていただきます。

--引用ココカラ---

彼女は夜、外にいれば必ず星や惑星を見る。「この空が宇宙に繋がっている」と思いを飛ばすことで「目の前の状況が全てではない」と違う視点が得られるから。「地上で抱えきれないほどの大問題を抱えていたとしても、宇宙規模で考えれば「え?」と思うぐらい小さなこと。大事なのは、明けない夜はないということ。地球の自転と公転を考えれば、必ず朝は来るのです。宇宙について知ることは、なぜ朝が来るのか・四季があるのか、さらになぜ自分がここに生きているのかに直結する。」

--引用ココマデ---

さて、この文章をすべて把握出来たわけではないけど、元気が出る文章でしょう。
ショボショボしないで、口角を上げて、いざゆかん!
ある朝、母の部屋に

「おはようございます」と、飛び込む私。

「いい朝ですョ」

「朝は何色?」と、ママ。

語彙の豊富ではない私は言いよどむ。
朝に色なんてあったっけ?お日様色もありきたりですものね。

「朝は幸せ色よ」

ママ、お見事!