今、介護中の方、口角を上げて下さい。
ナァニー?何も面白いことない?いいんです。とにかく口角を上げる。すると、アラ不思議、脳は嬉しいことがあったかと勘違いし、気分がウキウキしてくるとか……嘘か本当かはわからないけど。介護されている人だって、仏頂面じゃ嫌でしょ。

介護士・ヘルパー・入浴介助の方々、訪問医、ケアマネージャーなどなど、約10人位の方が出入りしているが、みんなマスクの下は笑顔。

"笑顔でいられるのは、時間が決まってるからよ"
"お仕事だからでしょ"

そんなこと思ってはいけません!

"私たち(=介護者)は24時間勤務のブラック企業にいるみたい!"

ユメユメ思ってはいけません!
世話になったとかならないとか、グチャグチャ言わない!
介護される人がわが身のそばにいることを運命と受け入れましょう。
朝、自分のベッドを離れたら、まず口角を上げ、いざゆかん! (oノ´□`)ノガンバレ!

「ママ、おはよう!」

威勢のいい声に、眠っていようがいまいが、母はハッタと天井をにらむ。
娘は忍者かくの一か。天井のどこに貼り付いているのか四方八方ねめ回している。

ほどよきところで

「ママ、あなたの娘さんはここよ」

と云うと、私に視線を合わせ満面の笑顔で

「おはよう」

いつもの一日が始まる。

ここにくるまで、私は何年かかったでしょう。5年とちょっと。それまでの私は、母の中は自分中心で回っていると思いこんでいた大馬鹿者。母のレビー小体型認知症の発症で、人格も生活も何もかも床に叩きつけられ、一時は粉々に砕け散った私。でも、粉々になったカケラをひとつひとつ寄せ集めて、母と一緒に何とか楽しく生きている。私の敬愛する最初のケアマネージャーさんに

「トモ子さん、どんなに介護してもお母様が亡くなられたら、また後悔に苛まれますョ。今を大事にね」

と、言われた。その時は理解できなかったけど、今ならわかる。

阿川佐和子さんの雑誌の対談記事で、阿川さんのお母様も認知症になられ、こんなことを語っておられた。

「私も最初に母に認知症の症状が出た時には動揺もしました。葛藤もあった。でも、この状態の母が今の母なんだ、と受け入れるしかないと思うようになって…(中略)…接している目の前の母との時間を大事にしようと思うようにしたんです。つまり治すべきものではなく、対応すべきものなんだと」

そうね、そうね。よくわかる。過去の私に戻ってやり直そうとしたって無理だし……今の一瞬一瞬を幸福にしてあげたい。

母と動物モノのテレビ番組を観ていて

「あっ!ライオン」と、私。

「美味しかった」と、ママ。

「えっ?」

「ライオン美味しかった」

「フーン、食べたの?」

「フン」 ( ˙-˙ )

ライオンの餌になりかかった我が娘に何を言っちゃってんの。

母の100歳のお誕生日、2月3日にいただいた沢山の切り花はみんな枯れ、鉢植えの胡蝶蘭もほぼ全滅。一鉢だけ、真っ白な胡蝶蘭がひと花も落とさず、凛として立っている。母の部屋に置いていたが、今はリビングを飾ってくれている。
介護士が

「お母様みたいですね」

と、言ってくださる。
本当。元気で長生き、もう2ヶ月半も保っている。長年胡蝶蘭を見ているが、こんなのは初めて。

「あなたの部屋に運びましょうか?」と、母に言うと

「いいの、夜中に見に行ってるから」

???

アーそうね、母の空想の世界では自由に歩いているのね。ベッドの中にいるのは仮の姿ですものね。

ティンカーベルのように(大分年を取っているけれど)空を飛びまわっている母の姿が見える。