今、介護の最中の方はこれがいつまで続くのか、不安に苛まれていることでしょう。私も訪問医の先生に、昨年のはじめ

「お母様は今年いっぱいはご無理でしょう」

と云われた。心が痛んだが、正直言ってホッとした。それくらいなら私、頑張れる。
「お医者様が言うなら、まず間違いないでしょう」と、ケアマネージャーさんも言う。
食事制限もやめ、好きな物を食べさせていたら、みるみる元気になる。訪問医は来るたび「アレッ?」「アレッ?」「やっぱり自由にしてもらうのが一番なのかなー」と呟く。

余命宣告されて早1年半。訪問医によると、今はどこも悪いところが無いそうだ。これじゃ私の体の方がもたない。ケアマネージャーさんから、介護は終わりのない戦い、と言われたが本当にその通り。ストレス解消しようとしてもコロナ禍ではままならない。せいぜい自分で自分を誉めまくりましょう。「私は偉い!」「私は最高!」と叫びましょう。

母にもこの頃グチをこぼす。

「ママ、疲れた」と、私。

「あら、あなた弱いのねー」と、ママ。

「だって私、もう75歳よ」

「あたしは76歳!」

「ママは100歳でいらっしゃいます」

「アラ、マ。誰がそんなこと言ったの?」ママ、怒り出す。

自分でも信じられない年なのだろう。

母の認知症は治らないが、あの阿鼻叫喚の狂い方は全く影を潜めてしまった。
母はレビー小体型認知症と診断されたが、妄想、不穏(=周囲への警戒心が強く落ち着きがない状態)があり、見えないものが見える「幻視」という症状が現れ、それもとても恐ろしい体験、ソ連軍に襲われた頃の情景が繰り返し現れていたらしい。それで母は花瓶を投げつけ椅子を倒し、たったひとりで見えない敵と戦っていたのだ。どんなに怖かっただろう。凶暴になってブルブルふるえている母親を、私はただただ呆然と見ているだけだった。大丈夫、大丈夫と抱きしめてあげれば良かったのに……

母には、お薬が6種類ほど処方された。抗認知症薬が2種類と不穏を抑えるための抗精神薬や睡眠薬等々、最初は嫌がって飲まず、「毒を飲ませるのか」と私を罵り、吐き出したり。無理に口に入れると、私の指に噛みつき、それはそれは苦労した。でも次第に飲むようになってくれ、全種類飲むことはなくても1種類か2種類の薬は飲むことがあり、「これを飲むと心が落ち着き、良い気持ちなる」と思ったのでしょう。まともに飲んでくれるまでに1年以上かかったかしら。

今の母は、最も手厚い介護が必要とされる「要介護5」です。
発症してから5年以上が経ち、落ち着いた状態を保っている。でも、暴れることはなくなったかわりに、いつも眠っている。先生から「眠ってばかりでは穏やかな日常を送っているとはいえない」と言われ、最初に処方された薬は全てやめ、現在は自律神経を整えるもののみ。再び不穏が出ない範囲で、眠気がある薬を減らしてもらった。

今でも何かが見えるようだが、とても可愛らしいもののようだ。
犬なの?猫なの?
私も母の指さす方向を見て、ニコニコしている。間違っても「何も見えないじゃない!」などと云ってはダメ。認知症の人は、自分の意思が軽視されたことはすぐわかる。できる限り寄り添ってあげましょう。

お夕飯の準備が出来て「ママ、ママ」と呼んでも爆睡中。「お母さーん」と叫んだらパッチリ目をあけ、

「やめました」と、ママ。

「何をやめたの?」

「私、お母さん、やめました」

そこで「私も娘やめます!」とは絶対云ってはなりません。ニコニコ笑ってあげましょう。