桜が満開な今日この頃、隣りのお宅にも桜、遊歩道にも近くの公園にも桜、桜見物に行く必要がないほど豊富に咲いてくれている。元気な時の母とはいつも散歩していた。私は小さい時からここに住んでいるので、近所の方にとってはまだトモ子ちゃんと呼ばれる。たまたま一人で歩いていると、
「トモ子ちゃーん、ママどうしたの?ケンカしちゃった?」
「ううん。今日はママはちょっとお出かけ」
「あーよかった。小父さん心配しちゃったよ」
今日は母のベッドの脇に、誰がくださったのか桜の小枝が一本。
今でもまだ時々、5年前の母の発症当時のことを思い出す。
これは、認知症に気づかなかった私の言い訳だが、母は物忘れをして、何回もものを聞いたり、ちぐはぐな服装をしていたりしたことは全くなかった。母の部屋は独立していて、お風呂・トイレ・ベッド、母のお友達を招くスペースがあり、全て母の設計だった。そこで準備万端整えて、私の前に現れる母はいつも完璧だった。でも、今思えば不思議なことが一つだけ。長年家に来てくれるお手伝いの人を、部屋に入れなくなったこと。
「お掃除します」と、部屋をノックしても
「いいんです。私が片付けます」と、母。
困り果てた彼女はマーちゃんに頼んだが、これも断固拒否。誰も部屋に入れず、中の様子は全くわからなかった。今思えば、母は部屋を片付けられなくなっていたのだ。
そして突如、幕が切って落とされた。
生まれて初めて聞く私への罵詈雑言、暴力。花瓶を投げつけ椅子を倒し、華奢な体の中のどこにこの怒りが詰まっていたのか……
もう一度5年前に戻りたい、などとは決して思わない。でも私に少しでも認知症の知識があったなら、あんな修羅場にはならなかったはず。私も目の前の状況に我を忘れ殺気立ち、母にひどい言葉をぶつけていたに違いない。
「何をするの!」
「ママ、そんなことやっちゃダメ!」
ヒエラルキーの逆転。母も正気を失い、娘の言葉がわからなかったのだろう。我が家ではいつも母に対しては敬語だったのだから。
あの時私にもう少し、心の余裕があったら……
狂いまわっている母を見ていられず、私の方が先に倒れてしまった。過呼吸、パニック障害。体重も7kg減り、そんな私がろくな介護などできるわけもなかった。私の無知ゆえ、母には本当に可哀想なことをしてしまった。母は正気を失いながらも、どんなに自分の変化が怖かっただろう。謝っても謝りきれない。
介護をしている人はみんな、仲間だ。介護を自分でしたことのない人には絶対にわからない。今、私達におしゃべりしている時間はないけれど、いつか、出来るはず。その日を楽しみにしましょうね。(*´ー`)
「何かお手伝いしましょうか?」本当に親切で云ってくださる人がいる。
「ハイ!ありがとう。おむつ替えてください」と云ったら、どんなにビックリするだろう。
「アラ、私、お茶を入れて、お菓子をお持ちしようと思っただけなのに……」
「ごめんなさい、冗談です」
……なーんてね。
ある日の夕べ、母が私の顔をジーッと見つめている。
「何を見ているんですか?」と、私。
「トモちゃんのこと、可愛くてしょうがないのよね」と、マーちゃん。
ママ、ちょっと首をかしげる。
「トモちゃんはママの宝物だものね」
ママ、首を大きくかしげて、
「そうでもない」( ˙-˙ )
マーちゃんと私、大笑い。
ママ、満開の桜もそろそろ散りそうね。