『徹子の部屋』は3月3日の放送だったのに、いまだにお手紙やメールが来る。こんなに余韻があるのは非常に稀なことだ。それほど介護に苦労し、関心のある方が多いのだろう。お便りは、私のファンではない方がほとんどだ。

ご主人が若い時から認知症になり、もう20年以上おむつ生活の世話をしている女性。素人の文章だから、それは赤裸々で心が痛い。
お父さんの介護をひとりでしている息子さん、もちろん老老介護。
お母さんの看取りをしてもう1年以上経っているのに、まだ立ち直れず後悔に苛まれている娘さん。
みんな私よりずっと大変な生活をしているのに、私の話に励まされたと書いてくださる。もったいないこと。

私はたまたま芸能界の仕事をしているので、テレビ・ラジオ・講演などで話す機会がある。でも最初は全く乗り気ではなかった。自分のことなら、好き勝手なことを云ってもいい。でも相手は母だ。了解の取りようもない。

母のレビー小体型認知症の発症は、5年前になる。
凶暴になり、人の変わってしまった母に、なす術がなくなった私は、最初のケアマネージャーに相談した。

「私は仕事を辞めます。介護に専念します。仕事との両立はとてもできません」

「今のあなたの介護は、介護のカの字にもなっていません」と、ケアマネージャーさんに一喝された。

「だから介護に専念しようって……」

「トモ子さんは、もともと家庭の仕事をしてこなかったし、介護生活ばかりになったら逃げ場がなくなります。お母様がいらっしゃらなくなって、ハイ、手が空きました、仕事をくださいと言ったって、70過ぎたあなたに誰が仕事をくれますか!」

ごもっとも……彼女のおかげで私も介護の体験の話をし、少しばかりはお役に立っているようで……仕事を辞めずに良かった。でも介護などというものは、ひとりひとりが全部違い、これが正解などというものはないと思う。皆、初めて同士がぶち当たる経験なのだ。

ある日のこと、介護で疲労困憊になり、母のベッドに腰掛け「疲れちゃった」と言ったら、涼しい声で「代わりましょうか?」と、ママ。

「ヘイ、代わっていただきましょうか」

母に食事をさせていると、私のトレーナーを引っ張り、口を耳元に寄せる。

「もしもし」と、ママ。

「ハイ、ご遺言でしょうか?」と、私。

大真面目な顔で「マダ、マダ」と、のたまう。まだ粘りますか……

あるお天気のいい日に、母の部屋に心地良い風がおとずれる。

「永六輔さん亡くなっちゃったわね」と、私。

「えっ、また?」と、ママびっくり。

「またって……」

「永さん、また亡くなったの?なんてことでしょう」

ママの頭の中には、春の風が吹いている。