母と私とマーちゃん、3人ともPCR検査は陰性になりました。バンザーイ。
母は鼻から綿棒を入れて、私とマーちゃんは唾液をビーカーのようなものに採取する。約2cm溜めるのが思ったより大変だった。
母は1日で陰性が判明、私は2日目。マーちゃんは2~3日待たされる。原因はマーちゃんが義歯だったため、粘着のノリのようなものが検査に引っかかったようだ。義歯で粘着のノリのようなものを使っている人はご用心。
陰性が判明するまでの間、生きた心地がしなかった。母が陽性になったら防護服を着た人が出入りすることになる。お風呂、トイレ、ベッドも完備し病院の個室状態だからよいとして、もしも私が陽性になったら......先生、看護師さんは、防護服をリビングルームで脱ぎ、新しい服に着替え、私の部屋へ。ここもお風呂、トイレは別だが、ここでハタと気が付いた。訪問医の先生たちは母のために契約している。私は診てもらえない。さあどうしよう。
このご時世では入院の望みを叶えるのは、容易ではなさそう。自宅療養の可能性が高い。我が家の導線はどうする。食料は誰が届けてくれるのだろう。
陽性者の訪問後、私達の陰性が判明するまでの約1週間の辛かったこと。
陰性が判明後、母の部屋へ行き歓喜の舞を踊ってあげた。私のダンスは3歳からだから年季が入っている。母も最初はボーッとしていたが、手拍子をし、最後は握手を求めてきた。ママ、お目が高い。
今回は何とか切り抜けたが、まだまだ先は長い。要するに自分がかからなければいいのだが、母のように一日中ベッドに寝ているわけにはいかない。
まだコロナのコの字もなかった頃、訪問医の先生が
「お母様は自宅介護で一番良い状態にいらっしゃいますね。幸せなお看取りがご自宅でできますよ」
と仰ってくださった。昨年の春頃、
「お母様は今年いっぱいはご無理だと思います」
と言われた。
私は、その時期がわかったら知らせてくださるよう、お願いしてあった。仕事を取らないようにするためだ。
「逢わせたい人がいたら、逢わせてください。食べ物も制限しません。なんでも食べさせてあげてください」
母の大好きな方、お1人ずつ何人かの方に逢っていただいたが、母の親しかったお友達はみな天国だ。
食欲は旺盛で、ローストビーフ・ハンバーグ・すき焼きのお肉をサッサッと焼いたもの、お刺身は鮪・鯛・帆立・イカ、食前にはワインも召し上がる。母はしっかりした声で「おかわり」とのたまう。私とマーちゃん2人の召使いは走り回り、止めはデザートにアイスクリーム・果物・チョコレート。母は見る間に、しおれた花が生き返るように頬はバラ色、シワも伸びてシャッキリしてきた。訪問医の先生も来るたび「アレ?アレ?」と仰る。
「またお元気になられましたね」
やっぱり制限しない方がいいのかなー、と呟いていた。
そして今年の2月3日、母は100歳を迎える。
「ママはおいくつになられましたか?」と、私。
「サァー」と、ママ。
「99歳ですョ」
ママ、キョトン。
「もうすぐ100歳ですョ」
「ホーびっくりしたね。たまげたもんだ……」
母も想定外なのでしょう。この頃母から聞いたこともない言葉が口から飛び出すのは、小さいときいた大牟田の方言なのかしら?
一世紀、信じられない長さだ。
照れ屋でスキンシップの下手な私が母をギュッと抱きしめた。
「頑張ったわね」
母は折れそうに細かった。
神様、誕生日までのあと3日、よろしくお願いします。