私の母が4年半前に、突然レビー小体型認知症を発症し、その母との戦いは壮絶なものだった。
私にとって尊敬する母親が目の前で崩壊していく様子を見つめている勇気がなく、ただ呆然としていた。

厳しい芸能界で、一卵性親子といわれ二人三脚で生き抜いてきた私達。
認知症という現実を突きつけられても、なかなか受け入れることができず、適切な介護が遅れ、母をも苦しめたことだと思う。

その時の記録が「老老介護の幸せ (母と娘の最後の旅路)」、飛鳥新社から発売中だ。

今読み返してみても、覚えていない、忘れてしまったことがいっぱいだ。私自身もパニック障害、過呼吸、重度の介護ストレスと診断され、正常な判断もできなかった。2人で狂いまわっている状態だったと思う。

時が4年半前に戻ってくれれば、私はもっと上手に落ち着いて母の介護ができたのに……悔やんでも悔やみきれない。無知とは恐ろしい。

本を依頼された時は、初めての自宅介護と自分の仕事でいっぱいいっぱいで、とても書く暇などありゃしない。でも引き受けたからには、徹夜徹夜で書き続けた。泣きながら、笑いながら……出来栄えはともかく、よくやったものだと思う。あの時間だけ、母と離れ自己逃避ができた時間だったのかしら?

一生懸命書いたので、ぜひ読んでください。

 

 

介護している方には何かのお役に立てるかも知れないし、これからの方には少しだけ知識が増えて慌てずに済むかも知れません。


ひとりで抱え込まず、誰かに相談すること。
認知症は恥ずかしいことではない。年を取れば誰でもかかる可能性のある病気です。

サテ、「老老介護の幸せ」というタイトルは私ではなく、編集者が名付けました。

当時私が考えていた本のタイトルは、老老介護の"残酷"や"地獄"など……浮かぶ言葉は酷いものばかり。編集者からの提案は「老老介護の幸せ」。当時の私の気持ちとはそぐわない。反対する私に、

「そんなタイトルじゃ誰も買わないですよ」と編集者。(御説ごもっとも)

「でも私は、老老介護の"幸せ"なんかじゃない。"不幸"です」

当時の私は叫んでいた。
幸せなどと悠長なことは当事者には言えない。生きるか死ぬかの毎日だった。

このコロナ禍の中、今年の前半は順調に仕事があったが、4月中頃からキャンセル、キャンセル……ほとんど全滅状態。たったひとつ良い事があったとすれば、我が家の扉を二つ開けると、要介護5の母が穏やかに眠っていること。施設を断念して良かった。私はこのコロナ禍の中、いつでも母と会うことができるし、話せる。
施設に預けている友達は大変だ。二週間にいっぺん、それも遠くから姿を見る程度と聞く。

母は来年2月3日に100歳になる。来年はどんな年になるやら。

“with コロナ”といったって相手が仲良くする気がないのだから。

母を無事、天国の父に返すのが、今私にとって一番、大事なミッションだ。

ママ、もう何も心配することはないのよ。毎日ニコニコしていてください。
守るべきものがあるということは、強いと、信じている。 
 
今は文字通り"老老介護の幸せ"と言い切れる。

来年が、今年よりも良い年でありますよう、お祈りしています。