12月12日、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に出演しました。
なんと車の迎えが、朝の5時半!キャスターの方が生出演するのは当然として、ラジオ番組が早朝の場合、ゲストはほとんど録音だ。
私の今の生活は、母親を自宅介護しているので、毎朝5時起きだから何でもないが、身支度を整えてお化粧してとなると、ちょっと大変。目覚ましを3個、4時にかけておいたら緊張したのかしら?3時に飛び起きてしまった。
朝のスタジオは活気に満ちていた。パーテーションの立て方もスタジオによってそれぞれ違う。前と横、三角錐を3つ並べたような型だ。その中に、徳光和夫さん、私、アナウンサーが一人ずつ入る。かなり閉塞感がある。
徳光さんが開口一番、
「お逢いできるのを楽しみにしていました。と申しますのは、これまで時間を取って松島トモ子さんとお話しする機会に恵まれませんでした」
「えっ?徳光さん、本気で仰ってるの?」と、私。
確かにTV番組でチョコチョコお会いしているが、衝撃的な出会いがあったはず。それをお忘れか?
今から35年前、ライオンとヒョウに襲われ奇跡の生還を果たし、日本中が大騒ぎになったその2~3ヶ月後、私は病院からギプスのまま、TV番組にスタジオ出演。その時の司会者が徳光和夫さん。日本テレビの「TIME21」という番組で、サブタイトルが「それでも私はライオンが好き」。当初は野生のエルザでお馴染みのジョージ・アダムソンが野生のライオンと淡々と暮らす姿のドキュメンタリーだったのが、レポーターの私がライオンとヒョウに咬まれ、それが一躍有名になってしまったのでサァ大変。数ヶ月、ジョージに密着した部分は没。私が主役になってしまった。成田空港での記者会見から病院へ入院。テレビ画面に登場するのはこれが初めて。かなりの話題作であった。
ライオンとヒョウに咬まれた私を不憫と思召したのか、プロデューサーが
「トモ子ちゃん、司会役は誰でもいいよ。君の好きな人を連れて来るから」
この言葉は、はっきり覚えている。
私は大胆にも他局の人気司会者を指名した。(だって誰でも良いって言ったでしょ)
「そりゃ無理だよ。ウチの一番人気司会者に頼むからさ」
それが徳光さんだった。
大概昔の事は忘れている私だが、これは忘れてない。
「いやーすみません、そうでしたか。福留ではありませんでしたかね」と徳光さん、まだもがいている。
その時私は痛みに苛まれ、徳光さんに頼んでスタッフがセットを歩く時は静かに、とお願いしていた。自分にとっては鮮烈な思い出であっても、他人様にとっては脳の片隅にも残っていない。それも仕方のないこと。
家に帰ったら、まだ朝の8時前。留守番役は親戚のマーちゃんに頼んだが、母の看護師さんが来るのは9時ちょっと過ぎ。その間、母にゆっくり朝ごはんを食べさせる時間があった。その時のマーちゃんとの会話。
「昔、早起きは三文の徳、っていうことわざがあったけど、三文って今のいくらかしら?」
「さあ、知らないョ」と、マーちゃん。
風情のない人だな。 ヽ(´ー`)┌
朝のちょっとした会話を楽しもうとしただけなのに。
今日は朝の時間が、芸能人・松島トモ子。その後は、娘として母の介護人だ。
■ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」公式サイト
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■「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」松島トモ子回の番組ブログ
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