11月1~3日 久我神社 例祭

1日の本殿祭では、神馬を本殿・拝殿の廻りを3周させる牽馬の儀式が行われる
2日は前夜祭として、地域による太鼓・ハンドベル・フラダンスの奉納、万灯の奉納がある。

3日の神輿巡幸は、大神輿・中神輿・子供神輿の三基が氏子町内を練り歩く。

神社の旧記によれば、八世紀末、平安遷都に先立ち、桓武天皇が山背長岡に遷都された延暦3年(784)頃、王城の艮角の守護神として御鎮座になった(秘伝神書抄)と伝えられ、以来千二百年の星霜を経た延喜式内社であり、久何神社とも号する。

一説には当社は往古、山背久我国造として、北山城一帯に蟠踞した久我氏の祖神、興我萬代継神(三代実録)を祀った、本市における最も古い神社の一つであり、久我氏の衰頽後、賀茂氏がこれに代わってその始神を祀ったのではないか。
また、他の説では、起源は古く、平安・長岡遷都以前に遡り、「山城国風土記」逸文に云う賀茂氏が大和から木津川を経て、この久我国(葛野乙訓にわたる地方の古称)の伏見地方に居をすえ、祖神を祀ったのが、当久我神社であり、更に賀茂川を北上して今の賀茂の地に鎮まったと考えられる。
これらの事から、いずれにしても、歴史的に頗る深い由緒と信仰の跡を偲ぶことができるのである。
尚、興味あることとして当地方の西の方(乙訓座火雷神)から丹塗矢が当社(玉依比売命)にとんできて、やがて別雷神が生まれられたとも、此の里では伝承されている。

北区紫竹下竹殿町47番地
075-781-0011
市バス4、9、37系統・京都バス「下岸町」下車徒歩3分
市バス46系統「下竹殿町]下車徒歩1分