4月14日の歴史

平安時代末期の貴族で儒学者 

清原頼業 ご命日です

 
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文治5年閏4月14日 死没

 

清原頼業公は

平安時代後期の漢学者・儒学者で

 

天武天皇の皇子、舎人親王の御子孫にあたり

一族の中には

三十六歌仙の一人である清原元輔

その娘、清少納言らの名も見られる

頼業公は大外記の職を24年間も任め

和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ

晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり

兼実から

「その才、神というべく尊ぶべし」と

称えられた

頼業公は文治5年4月14日に逝去され

清原家の領地であった


現在の車折神社の社地に

葬られ廟が設けられた

やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み

「宝寿院」という寺が営まれた

 

 

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臨済宗天龍寺派 瑞雲山宝寿院

この寺は室町時代に至り

足利尊氏により嵐山に

天龍寺が創建されるとその末寺となった

現在この宝寿院があった場所には

車折神社だけが残ってます 



清原頼業公は
車折神社の祭神であり
車折明神としても信仰されてます
 
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車折神社は芸能神社が有名な神社です

最近 玉垣最近奉納してへんなガーン

 
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現在の宝寿院はといいますと

昭和の終わり頃から色々ありまして

当時の住職が

滋賀県大津市比叡山登り口にある

現在の琵琶湖霊園の隣に移築しました

 

 

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臨済宗天龍寺派 瑞雲山 宝寿院
本尊は千手観音様です

そして平安時代作

小さい厨子に入った弁財天があります


子供の頃からこの弁財天は

貴族の持ち物とずっと教えられてました


もしかすると

清原家の物なのかもしれませんね照れ












#車折神社 #清原頼業 #宝寿院

#光る君へ #清少納言