三位中将 平重衡




眩しくてしかも花粉か黄砂?で
めっちゃ瞬きしてます(笑)

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平重衡さんのお墓の枝垂れ桜
今年は満開を待たずして
雨と風でもう散ってました 
ほぼ毎日観察に行ってただけに今年は残念(>_<)

⬇︎去年の満開の時の写真

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あまり花をつけなくなってしまった桜ですが
満開の時はこんな感じに綺麗に咲きます

平重衡さんは清盛の子(五男)で

武勇に優れた武将です

平治の乱
宇治川の合戦、南都焼討、墨俣川の戦い

水島の戦いでなどで勝利しました

一ノ谷の戦いで

源氏(源義経の軍)の捕虜となる

南都焼討を憎む南都衆徒の強い要求により
重衡は南都へ引き渡されることなる

源頼兼の護送のもとで鎌倉を出立し
22日に東大寺の使者に引き渡された


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南都へと送られる途中 重衡さんは
日野に通りかかった時に 妻 北ノ方(輔子)と会う事が出来ました

それが平家物語でも書かれる せつない恋の物語

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(合場川)

妻 輔子が住まう日野の近くを通った時に
重衡が妻に一目会いたいとと願って許され
輔子が駆けつけたのがこの合場川

平重衡が妻と相会した河原=合場川
重衝が別離の情を琴の音に託した所以から琴弾山

2つの地名がこの地には残ってます

ここで妻 輔子について少し書きます

輔子は壇ノ浦の戦いで源氏方に捕らえられ

京都にもどって姉を頼り日野に隠棲してます

なぜ日野なのか!!

輔子の実家は 藤原家です 

しかも 藤原北家良門流の系統です

藤原北家?? 

日野の里に住む 日野家は藤原北家嫡流です

日野家で有名なのが

親鸞聖人と日野富子さんですね

その藤原北家の関係で日野に隠棲したのでしょう



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輔子はへ護送される夫と再会し

夫が処刑されたのち

遺体を引き取り日野家の菩提寺法界寺で

追善供養と火葬をし
そして高野山と現在の墓の地に埋葬したそうです

その後の輔子は出家し建礼門院のもとで

余生をおくったのです

あっぱれなる大将軍

桜は終わりましたが

重衡さんのお墓次はツツジの花が咲きます


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