10月15日の歴史
 
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天正10年(1582)10月15日
羽柴秀吉が亡き主君 織田信長の葬儀を
 
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京都 大徳寺にて盛大に行った
秀吉が自分が信長の後継者である事
 
世に示すための葬儀であった!!
 
以前行った特別拝観記事を再投稿です↓↓

2015 大徳寺 総見院 秋の特別拝観

 
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大徳寺 総見院
京都に数ヶ所ある中の1つの
信長公の墓があるお寺さんです
 
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では総見院内を探検しましょう
まずは本堂で 総見院の説明会に参加

念願の信長公木像と対面

この信長公の像が総見院さんのご本尊様です

現在は撮影禁止のためこちらで↓↓
 
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重要文化財木造織田信長坐像 
(前にあった看板を撮影)

実はこの木像はもう1体ありました
その木像は
遺体が出なかった信長公だったので

その木像を葬儀の時火葬してます
葬儀は1582年の10月15日に
京都の大徳寺にて
秀吉の主宰で行われたのですが

織田家で葬儀に参加し喪主を務めたのは
信長の四男である
秀吉の養子となってた羽柴秀勝

二男の信雄、三男の信孝
信忠の嫡男 三法師は参加してません

市、茶々、初、江、柴田勝家
信長公の兄弟などは参加してません

秀吉公が勝手に
織田家の後継者は自分であると
見せつけるための
葬儀でしかなかったのでしょうね

信長公の他の子は
数名参加してるという説もあるみたいですが

信長公の本葬はおそらく
身内だけでこれ以前に終わってるのかも?
 
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総見院さんのお庭も綺麗です

京都市内でも北の方やし少し紅葉してます

加藤清正公寄進の井戸が今も生きてました
その井戸の水でお茶を入れて飲ませてくれはりましたよ
 
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織田家一族の墓所

左から三番目が信長公、四番目が信忠公です

総見院さんのお墓が
唯一朝廷(正親町天皇)から
信長公の正式な墓所として認められた墓
 
 
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一族墓所のすぐ右に 徳姫の墓
信長公の長女で 五徳と呼ばれた姫です
 
 
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一族墓所の左側に

正室 帰蝶(農姫)の墓

側室 お鍋の方の墓

大徳寺 総見院さんは
特別公開時しか入る事ができません




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過去に
映像化もされてましたね!!


#織田信長 #歴史 #信長の棺 #大徳寺