京都浄土宗寺院大公開2ヵ所目に

伏見 丹波橋にある
安養山 往生院 勝念寺さんへ行ってきました


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このお寺の開山は
織田信長公が深く帰依した 貞安上人です

貞安上人といえば
本能寺の変の後 信長公と信忠公親子の菩提を弔うため

信忠公自害の地 二条御新造の地に

信忠公の法名のついた 大雲院を開創もした方です

大雲院は2度移動をし現在は東山区にあります

貞安上人は大雲院を開創したのとほぼ同時期に
豊臣秀吉公の城下町である丹波橋に勝念寺も開山されたのです



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初めてのお寺さんはワクワクします
そのお寺だけに残る歴史のお話を聞けるのが最高の楽しみ

しかも信長公関係となると最高すぎる

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山門 の端にこの碑が
織田信長公賜 閻魔法王自作霊像、身代わり釜敷地蔵尊

今回の目的 信長公ゆかりの仏様です

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本堂へ
住職さんに迎えられ このお寺の歴史
信長公から賜った3体の仏様のお話

開山された貞安上人のお話を聞きました

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閻魔法王自作霊像

平清盛もゆかりある閻魔さまで
平家滅亡後もゆかりの者が大事に所持してたそうです

その後戦国時代 平信長(平氏織田)を称した信長公は

平家の祖である平清盛の追善法要を行う事になり
その導師に命ぜられたのが貞安上人だったのです

この法要の親施として信長公より貞安上人は
閻魔法王自作霊像を賜ったそうです


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身代わり釜敷地蔵尊

この地蔵尊も信長公より貞安上人が賜ったそうです

現在ではかましきさんとして地域で信仰されてます


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金銅多羅観音菩薩坐像

この仏様も信長公より貞安上人が賜ったそうです

南蛮と深く係わりがあった信長公ですから
異国の仏様を所持してても不思議ではないです

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勝念寺さんに残る書物(コピ-)

前半は平家物語が書かれてるそうです

途中からは平清盛公、織田信長公、貞安上人
閻魔法王の事も書かれてます

平家の南都焼き打ち 織田軍の叡山焼き討ちの事も

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安土にあった西光寺(現在は近江八幡)

この西光寺の開山も貞安上人

勝念寺さんにはいっぱい書や手紙などが残ってる
ブログに載せたのはごく一部です

信長公ゆかりの仏様は元々この西光寺にあったそうです

ちゃんと古文を読めれば
歴史的発見がいっぱいできそう



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閻魔法王自作霊像
釜敷地蔵尊、金銅多羅観音菩薩 
3つの御朱印を頂いてきました

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歴史人公認ブログ記事 大雲院特別公開
http://www.rekishijin.jp/offcial-blog/official-blog-sengokubusyo/officialblog28/%E4%BA%AC%E3%81%AE%E5%A4%8F%E3%81%AE%E6%97%85%E3%80%80%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%80%80%E5%A4%A7%E9%9B%B2%E9%99%A2/