7月8日の歴史

池田屋騒動(池田屋事件)



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元治元年6月5日(1864年7月8日)

京都三条木屋町の

旅館・池田屋に潜伏し会合していた
長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を
京都守護職配下のである新選組が襲撃!!

新選組が殺傷、捕縛する一連の事件

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京都ではこの日
祇園祭の宵宮の日であるため

京の町は賑わっている


新選組隊士たちはその中最もにぎわう中心の八坂神社付近に合った
午後8時の出陣に備えて祇園会所に集合した

会津藩兵にも出動を要請したが一向に会津藩からのの知らせが来ない

これは新選組を描く映画(時代劇)などの
名場面としてよく取り上げられてます
新選組のイライラシーンですね~

我慢できず捜索に出陣!!

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(池田屋騒動跡石碑)


捜索の結果 近藤隊は池田屋へ



御用改めである!!

近藤勇(沖田、永倉、藤堂)らが池田屋に突入
他隊士は出入り口を固める

土方隊はもう1つの予想地

四国屋へ行っていた


壮絶な斬り合いが始まり

沖田は敵を斬るが途中 

持病の労咳が発症し吐血
これもよく使われる名場面ですね


近藤、永倉、藤堂らは沖田が退いた後も奮闘


藤堂は室内のあまりの暑さに

鉢金をはずしたところを
敵に切りかかられた  

これも名場面ですね~  藤堂も途中で退いた


土方隊が到着し一気に攻めて新選組優勢に

その後 

会津藩もやっと到着し池田屋を取り囲んだ

長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士側は
死者多数、捕縛者多数

新選組隊士は死者少数、負傷者少数で幕を閉じる






新選組隊士たちは祇園会所に戻り休息し
翌朝に隊服を整え隊列を組んで

壬生の屯所へと凱旋する


この池田屋騒動で

新選組の名が一気に広がった!!





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3番がちょうど池田屋騒動に重なります

OTOGI 友情の絆~ダンダラ誠の旗の下~
作詞/河村泉兵衛 作曲/金子裕則 

志し熱き壬生狼の 公儀に捧げた生涯よ

一太刀必殺剣の舞 京の治安を守る風

泣く子も黙る最強の 剣客集団闇を切る

伝説の美剣士列伝は 悲劇の死闘 血の涙

共に戦い 共に走った 孤高の熱血漢 

京の四条に澄み渡る ダンダラ誠の旗は往く





天下に轟く新選組の名!!