4月16日の歴史 

戦国 豊臣秀頼 方広寺再建


1614年4月16日 
豊臣秀頼が、焼失した京都・方広寺を再建

 

 

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秀吉の時代 伏見地震により倒壊

秀吉の跡を継ぎその後は 豊臣秀頼が再建へ

慶長4年(1599年)
木食応其に命じて大仏(銅造)の復興を図る 

慶長7年(1602年)流し込んだ銅が 
漏れ出たため火災

慶長13年(1608年)より再建が開始

慶長15年(1610年)6月に地鎮

慶長17年(1612年)には
大仏に金箔を押すところまで完成

慶長19年(1614年)には梵鐘が完成

 

 

 

 



方広寺の大仏・大仏殿は
奈良東大寺より大きかったそうです

 



徳川家康の承認を得て、開眼供養の日を待つ
ところが家康は

同年7月26日に開眼供養の延期を命じる

 

 

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秀頼が奉納した鐘の銘「国家安康」に対し
徳川家康から言いがかりをつけられる!!

大坂の陣の原因にもなったとされる
 

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方広寺鐘銘事件!!
「国家安康」「君臣豊楽」

 


【その後】

寛文2年(1662年)の地震で大破
大仏は寛文7年(1667年)に木造で再興された

この再興された大仏も
寛政10年(1798年)落雷による火災で焼失

この事は京のわらべ歌 京の大仏になってます
 
京の京の大仏つぁんは 天火で焼けてな
三十三間堂が 焼け残った
アリャ ドンドンドン コリャ ドンドンドン♪
 



昭和48年にも大仏殿炎上してます

うちの家隣の町内やから 

大混乱で皆見に行ったそうです

 



大仏殿跡は 緑地(公園)になってます



【方広寺から移築】
 

 

 

東寺の南大門は
方広寺西門を明治になって東寺に移築したものです
 

 

 



方広寺・豊国神社 
ここは吉岡淳の幼少期の遊び場やったんです
隣の町内に住んでましたからね


大仏殿があった事が 交番の名前として残り

通りの名前=正面通り 

(大仏の正面)として残ってます


方広寺の大仏殿は
それこそ城の天守よりも遥かに巨大やったそうです