臨済宗の単立寺院 善入山 宝筐院
平安時代に白河天皇の勅願寺として建立された寺です
本尊は木造十一面千手観世音菩薩立像
室町幕府2代将軍・足利義詮と南朝の忠臣・楠木正行の菩提寺
室町時代・江戸時代は臨済宗天龍寺派の山外塔頭寺院でした
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の西隣りのお寺さんなんで
南北朝時代のロマン感じるお寺です
完全この日 この時間帯は誰もいなく
一人で拝観 完全貸切状態でした
足利幕府二代将軍・足利義詮と南朝の忠臣・楠木正行墓所
楠木正行は四條畷の戦いで
足利方の高師直・師泰兄弟と戦って敗北し討ち死にしました
黙庵によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られたそうです
正行の敵である足利義詮は
正行の埋葬を知るり自分の逝去後は宝筐院の
楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたいと遺言を残した
貞治5年 義詮の死後 正行の墓の隣に葬られました
8代将軍・足利義政の代にこの寺の名前は
義詮の院号である宝筐院に改められたそうです
正行は大楠公 楠木正成の嫡男です
正行は小楠公と呼ばれるてます
父の意志を継ぎ、足利尊氏と戦ったのです
尊氏の嫡男 義詮と 嫡男同士完全宿敵ですね
楠木正行は四條畷の戦いで
足利方の高師直・師泰兄弟と戦って敗北し討ち死にしました
黙庵によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られたそうです
正行の敵である足利義詮は
正行の埋葬を知るり自分の逝去後は宝筐院の
楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたいと遺言を残した
貞治5年 義詮の死後 正行の墓の隣に葬られました
8代将軍・足利義政の代にこの寺の名前は
義詮の院号である宝筐院に改められたそうです
正行は大楠公 楠木正成の嫡男です
正行は小楠公と呼ばれるてます
父の意志を継ぎ、足利尊氏と戦ったのです
尊氏の嫡男 義詮と 嫡男同士完全宿敵ですね
本堂から見た庭
ここのお寺さん敷地全体が大きな庭て感じです
桜の時期 紅葉の時期はかなり綺麗でしょうね
本堂には楠木正行公の20センチくらいの像が安置されてます
そして四條畷の戦いの絵も飾られてます
墓所の横には辞世の句の碑もあります
今は梅が綺麗に咲いてました
桜の時期ここの庭は絶対綺麗やと思います
宝筐院の御朱印
足利家、楠木家の両家の家紋がインパクトあります
今なお続く南北朝時代!!て感じの御朱印なのです
宝筐院
京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9
幼少 源義経(牛若丸)から歴史好きになった俺ですが実は
次にハマったのがこの南北朝時代 太平記だったんです