今日1月21日の歴史
薩長同盟
慶応2年1月21日
京都市上京区にあった小松帯刀邸で
薩摩藩と長州藩により結ばれた同盟
禁門の変(蛤御門の変)で朝敵となった長州藩
幕府から第一次長州征討を受ける事になった!!
その後イギリスの駐日公使である
ハリー・パークスが長州の高杉晋作と会談したり
土佐藩などにより 長州・薩摩の和睦へとつながる
薩長同盟のキーを握るのはこの2でしょう
坂本龍馬、中岡慎太郎
坂本龍馬が薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎の
仲介をし薩長同盟を成立させたのですからね
薩摩藩は長州藩を支援するということになっただけで
倒幕へ向けての同盟ではなかったそうです
薩長が敵対していたのは幕府そのものではなく
当時京都政局を制圧していた徳川慶喜、松平容保、松平定敬の3者
この政権であったそうなのです
薩摩藩は幕府による第二次長州征討に際し出兵を拒否したことで
以後薩長の連携関係は深まっていった
鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)の2年前に薩長同盟
たった2年間で倒幕開始してしまうんですからね
薩長同盟 提携内容(6ヶ条)
一、戦いと相成り候時は直様二千余の兵を急速差登し只今在京の兵と合し、浪華へも千程は差置き、京坂両処を相固め候事
一、戦自然も我勝利と相成り候気鋒これ有り候とき、其節朝廷へ申上屹度尽力の次第これ有り候との事
一、万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付、其間には必尽力の次第屹度これ有り候との事
一、是なりにて幕兵東帰せしときは屹度朝廷へ申上、直様冤罪は朝廷より御免に相成候都合に屹度尽力の事
一、兵士をも上国の上、橋会桑等も今の如き次第にて勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗み周旋尽力の道を相遮り候ときは、終に決戦に及び候外これ無きとの事
よく考えてみてください
毛利、島津は関ケ原の戦いの時の西軍
豊臣恩顧の大大名なのですよ
豊臣政権下では仲間!!
だから戊辰戦争、大政奉還 徳川幕府崩壊は
毛利、島津による関ケ原の戦いの仕返し合戦
撃て~~~~~!!
御用改めである!!
俺はやっぱり幕府軍
会津や新選組が好きですね