8月4日の歴史 黒田長政の命日
元和9年8月4日(1623年8月29日)
現在も長政最後の部屋として残っていて
特別公開時に拝観できます
辞世の句
此ほどは浮世の旅に迷ひきて、今こそ帰れあんらくの空
黒田官兵衛の兜は大阪城天守閣で
元和9年8月4日(1623年8月29日)
徳川秀忠、家光の上洛に先立って上洛
病が悪化し京の報恩寺客殿寝所にて
病が悪化し京の報恩寺客殿寝所にて
最後を迎える 享年56歳
現在も長政最後の部屋として残っていて
特別公開時に拝観できます
辞世の句
此ほどは浮世の旅に迷ひきて、今こそ帰れあんらくの空
正子公也先生の描く長政カッコイイ~!!
この長政が1番好きな長政の絵です
長政(松寿丸)は幼少は織田家時代人質として
羽柴(豊臣)家臣時代は父 官兵衛ともに秀吉に仕える
備中高松城の戦い、賤ヶ岳の戦い
小牧長久手の戦いでは
大阪城の留守居を務め戦った
そして九州征伐などで活躍
秀吉の死後
徳川家康派になり関ヶ原では東軍で活躍
小早川秀秋などの寝返りを交渉したのも長政
江戸時代 福岡城 福岡藩初代藩主となる
大坂の陣では江戸城留守居役を務めた
そんな黒田長政 必勝の毘沙門天像がある
現在建仁寺 両足院
黒田長政必勝の毘沙門天
勝負運ご利益がすごそうです
両足院のお守りは
長政の兜と黒田家の家紋が入ってます
黒田官兵衛の兜は大阪城天守閣で
かぶったことあるんやけど
長政はないからかぶってみたい
#黒田長政 #歴史 #戦国