6月27日の歴史 戦国 織田家
清須会議
織田信長の後継を決める会議が
清洲城で開催される
信忠の子・三法師を担いだ
信忠の子・三法師を担いだ
羽柴秀吉が実権を握る事に
天正10年6月27日
清須会議が開かれた
織田家の相続(後継者)
問題、領地再分配に関する会議
天正10年の本能寺の変で
織田信長は京都で
家臣の明智光秀によって討たれた
この時 織田家当主であり信長の嫡男である
織田信忠も二条城で死亡した
光秀は山崎の戦いで討たれ
織田家後継者及び
遺領の配分を決定することを目的に
清洲城で会議が開催された
織田家家臣
柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興
4人で
滝川一益は関東地方へ出陣中で欠席
織田家後継者の決定される
秀吉が推薦する
信長の嫡孫にあたる信忠の嫡男 三
法師に決まり
織田信孝はその後見人となる
清洲は清須とも表記される事があります
吉岡淳(織田信忠変身で)
清須城訪問の写真
1回目の訪問↓↓
2回目の訪問↓↓
信長茶寮の殿と広報出陣した時
楽しく清須会議を見るなら↓
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